もうすぐ日本に帰るお友達から桂枝雀さんのDVDをもらった。ジャケットを眺めていたら「喧嘩は江戸の華と申しますが」みたいななんとなく文句が頭にうかんだ。もちろん、枝雀さんは上方の噺家さんですけども。
何で読んだのか随分前のことで忘れてしまったのだけど、生きるか死ぬかの果たし合いが毎日起こってたとかそういうことではなくて、ここでいう喧嘩は口げんかのことだったらしい。喧嘩の当事者は売り言葉と買い言葉を応酬して、周りの野次馬を笑わせ、味方に引き込み、相手を言い負かし、負けた方は捨て台詞を吐いて去っていくとかそんな感じだったらしい。
大阪だと「ケ*の穴から手を入れて、奥歯ガタガタ言わせてやろか」みたいな言い回しが残っているけど、東京も昔はそういう決まり文句がいくつもあった。歌舞伎なんかにはそういうのが残っているらしい。「鼻の穴から屋形船突っ込むぞ」みたいなのが。
だから、ここでいう喧嘩は、相手の息の根を止めることが目的ではなくて、社会に許容される形で (野次馬がいわば陪審員なわけだから) 自分の感情を表に出す経路を見つけ、押したり引いたりしながら喧嘩相手との微妙なパワー・バランスの折り合いをつけるということです。
サッカーなんかでも、まあラグビーでも野球でもいいんですけど、相手がラフプレーしてきたときに、された方の選手がちょっと突っかかっていったりします。あれも崩れたパワー・バランスを回復するための行為であって、決して野蛮な行為ではありません。あれやっとかないと、逆に相手が調子に乗って怪我させられちゃう可能性ありますから、自分やチームメートの身を守り、秩序を復元するための行為です。
もちろん、切れて相手殴ったりしたらそれこそパワー・バランス壊れちゃいますから、切れたら絶対いけません。ただ、切れないためには、合法的に自分の感情を表に出す経路をちゃんと自覚的に確保しておいた方がいいのですね。日本だとピッチの上でのいざこざを嫌う人が結構いて、まあ「男は黙って、、」みたいなのが良しとされる気風なんでしょうけど、あれはアリだということにしといた方がいい。もちろん、目的はパワー・バランスの回復ということです。相手をやり込めたいとかそういうことではございません。
それから、いじめなんかでも、なんか言い返してパワー・バランスを回復する努力をしておかないと、いじめっ子が調子に乗っていじめがエスカレートしちゃうなんてことにもなりますね。
昔ですね、もう20年以上前の話ですが、「朝まで生テレビ」を見ていました。小中陽太郎さんが出ていて、この人は自称「平和主義者」みたいな人なんですが、たしか「武器を捨てよう」みたいな主張をしてて、誰かが「もし他の国が攻めてきたらどうするんですか」って聞いたら、小中さんは「私はよろこんで死にますよ」みたいな啖呵を切りました。それもまあ極端な話だなと思ったけど。
こういう人はさすがに今はいなくなったかなとも思うけど、「無防備都市宣言」みたいなことを一生懸命やっている人もいるみたいだから、そうでもないのかもしれない。だけど、そんなことしてパワー・バランスを崩してしまった方がよっぽど危なっかしいと思うのだが。
理想論として武器がなければ戦争は起こらないっていうのはわかるけど、現実問題としてはパワー・バランスを保って安全を確保していくしかない。世の中のあらゆることがパワー・バランスで成り立ってるのに、国同士の関係だけはそれはなしにしようってわけにはいかない。パワー・バランス保つには、交渉したり、取引したり、説得したり、いろいろめんどくさい手続きが当然でてくる。白黒のつかない居心地の悪い状態をやり過ごす処世術も覚えないといけないかもしれない。無防備宣言しちゃえばそういうことが必要なくなるから、そういう意味では楽だろうけど。
自分の良心に100%殉じることが一番の目的、そのためには死も辞さない、なんてのは本末転倒だと思う。あと、いまはもうそんな人はいなくなったと思うけど、武器をなくそうとしてる自分たちだけが平和のことを考えてるみたいな言い方はやめてほしい。みんなどうやればパワー・バランスを維持して、人が無駄に死ななくてすむかってことで議論してるんだから。