たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

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韓国女子サッカー代表・神戸INAC所属のチ・ソヨン選手が「日本で生活していると、いつも韓国人である私を見下す視線を感じる」と発言したと報道された件

先日、サッカーの東アジアカップというのがありまして、日本男子は見事優勝、女子は北朝鮮に次ぐ 2 位でした。

 

それで、女子の最終戦で日本は韓国に 2 - 1 で敗れたのですが、2 得点を挙げたチ選手が試合後のインタビューで「日本で生活していると、いつも韓国人である私を見下す視線を感じる」と発言した、と朝鮮日報が報じた、と日本では伝えられています。

 

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その後、チ選手は「そんなことは言っていない」と否定したとか、いろいろな情報が流れていますが、こういう話はなあなあで済まさない方がいいと思います。なあなあで済ますっていうことは、韓国では「やっぱり日本人は韓国人を下に見てるんだな」、日本では「また韓国人お得意の被害者ヅラか」みたいな思い込みが温存されることになりますから。昨年だったか一昨年だったか、プレミアリーグでテリー選手とスアレス選手が差別発言をしたと申し立てられた件で、イングランドでは裁判所まで巻き込んでガリガリやってましたが、差別的な言動を撲滅するにはあそこまでやらないとやっぱりダメなんだと思います。

 

まず、メディアは、大手メディアでもサッカーメディアでもいいですが、チ選手に実際にそのような発言をしたのかどうか聞きにいってほしいですね。もし実際にしたのであれば、具体的にどういう事例があったのか聞いてほしい。これはもちろんチ選手を問い詰めるということではなくて、自身の口から事情を説明する機会を提供するということです。

 

また、クラブもチ選手に聞きとりをして、実際に差別的な言動があったのなら、これはもう即座に対処しなければいけませんし、何かの誤解とか行き違いみたいなのがあったのだとすれば、その誤解を解いて、チ選手が気持ちよく暮らせるようにする必要があります。私も海外で暮らしているので分かりますが、アジア系だからそういう扱いなんかなとその時は思っても、後で考えるとそういうことではなかった、みたいなことは割とあります。

 

それで、チ選手が実際にそんな発言をしていないのであれば、どこで誰がどう間違えたのかをきちんと追求してほしいです。単純な間違いの可能性もありますが、誰かが差別感情を煽って部数を伸ばそうとか、アクセス数を伸ばそうという利己的な理由で、わざと発言を曲解した可能性もあります (これは、韓国の新聞がやった可能性もあるし、日本語に翻訳した誰かがやった可能性もあります)。その辺を詰めておけば、まあ「意図的にやりました」と今回認めることはないでしょうが、今後の抑止力にはなると思います。

 

今回の件で思い出したのは同じ韓国のキ・ソンヨン選手の事例です。

 

キ・ソンヨン選手は 2011 年の対日本戦で自らが PK を決めた後、ゴール・セレブレーションの一環として、サル顔をして顔を引っ掻く仕草をしました。韓国では日本人を馬鹿にするときサルというのだそうです。ちょっと何を言っているのかよくわからないですが、そういうことらしいです。

 

キ選手自身もサル顔をしたことを認めていて、最初は事前に用意していたパフォーマンスだったと語っていたのですが、その後「客席に旭日旗が見えたので」と旭日旗に腹を立てて行ったと言を翻しました。

 

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しかし、旭日旗が当日の会場に翻っていたという証拠は出て来ず、韓国サッカー協会が彼に聞きとりを行ったところ、「スコットランドのサポーターを人種差別者として告発することで苦い国際的確執から脱出しようとした」と釈明しました。当時、キ選手はスコットランドのセルティックでプレーしていたのですが、相手チームのサポから何か差別的な仕打ちがあったと言ったのです。

 

しかし、スコットランドのサッカーファンにとって、これは聞き捨てならん言葉なわけです。最初は一般のファンが「スタジアムにはよく行くけど、そんな差別的な応援は聞いたことがない」と言いだして、それをメディアも取りあげて大騒ぎになったと記憶しています。

 

北ヨーロッパは特に人種差別にはうるさくて、人種差別は社会的にも厳しく罰せられます。しかし逆に、「人種差別的」みたいなレッテルを貼ったり、濡れ衣を着せたりしたら、これも激しく反論されます。

 

で、最終的にはやっぱりスコットランドでそういう差別的な応援があったという証拠もあがらず、キ選手は新聞で「Cheeky MonKI」などと手厳しく揶揄されることになりました。

 

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まあ、PK エリアでのシミュレーションにはイエローカードが出されるのと同じで、人種差別には厳しい罰が適用されるべきですけれども、それを悪用して嘘の言いがかりをする人にも同様の厳しい罰が適用されるべきです。そうしないと世の中が壊れます。

 

ちょっと話が飛ぶかもしれませんが、今あの在特会の人たちがやっているいわゆるヘイトスピーチというやつですが (○○人はころせー、みたいなやつ)、私はそういうのが法律で禁止されている国に長いこと住んでいるので、言論の自由とかしゃらくさいこと言ってないで法律で禁止しろよと思っているわけです (おおざっぱに言うと、ヨーロッパは法律で禁止、アメリカは言論の自由を尊重、みたいな感じらしいですね)。

 

ただ、日本でこれをやると怖いのは、日本では差別についてしっかりと語る場がないということなんですね。たとえば、イングランドでテリー選手やスアレス選手の発言について彼らの言い分を聞きながらガリガリやるとか、スコットランドのサポーターがガリガリ反論するとかですね。

 

私の感覚ですが、日本はどちらかというと、差別される人が差別と感じたらそれは差別、という風潮があります。極端な人になると、差別と感じる人が 1 人でもいればそれは差別なんですよ、などと言います。そんな状況でヘイトスピーチを法律で禁止したら、人種差別カードを切りさえすれば相手を犯罪者にできることになります。そんな世の中は危なっかしくてしょうがありません。

 

差別されている人に寄り添うことこそが差別をなくす道なんだと考えている人もいると思いますが、もちろんそれも重要なんですが、何が差別で何が差別でないかをきっちり議論できる場を作ることこそが、差別的な言動をなくして皆がなるべく気持ちよく暮らせる道であると思います。まあ両方大事ということです。

 

差別と闘うというのは、少数者とか差別される人をお客さん扱いすることとは違います。お客さん扱いすることは、差別をなくすどころか、助長することになると思います。なぜなら、長居したお客さんは必ず嫌われるからです。