この間の日曜日にアイルランドは冬時間になりました。日本との時差は 9 時間です。冬時間になりますと、日が暮れるのがぐっと早くなります。
冬時間/夏時間とかタイムゾーンに関しては、やはりいろいろ議論があります。夏時間のままにしといた方が (または、夏も冬も 1 時間早めてヨーロッパ大陸と同じにした方が)、夕方明るくなるのでいいんじゃないかとか。
イギリスの数字ですけど、夏時間のままにすれば、交通量の多い夕方が明るいので、交通事故死者数が年に 80 人減るだろうとのこと (イギリスの年間交通事故死亡者数は 1700 人台)。ただ、よく言われるエネルギーの節約にはあまりつながらないだろうとかなんとか。
あと、夏と冬で時間を変えるのは、家畜を扱ってる農家の人はやめてほしいと思ってるらしいです。家畜に夏時間・冬時間言ってもわかってくれないので。
19 世紀の後半までは、アイルランドもイギリスも各地の日の出/日の入に合わせて時間を決めてたのですが、鉄道網と通信網の発達により時間を統一する必要性が出てきました。
それで、イギリスの国会は 1880 年にグレート・ブリテン島全体でグリニッジ標準時を使うことに決めた。ところが、アイルランド島はダブリン標準時を適用することにした。ダブリン標準時とは、ダブリン郊外のダンシンクという場所にある観測所の日の出/日の入を基準とする時刻です。それで、ダンシンクの方がグリニッジより 25 分 21 秒日の出が遅かったので、それがそのままグレートブリテンとアイルランドの時差になりました。ダブリン標準時ってのがあったのは私は知りませんでした。
ところが、1916 年のイースター蜂起のすぐ後、イギリスはアイルランドにもグリニッジ標準時を適用することに決めたんですね。それで、アイルランドの人はこれには凄く怒ったらしい。イギリスの横暴だと。圧政だと。たかだか 25 分ですが、やはり独自のタイムゾーンは象徴的な意味を見出してた人が多かったのでしょう。まあ、時間とか暦とか言葉とかを押しつけるのは支配の第一歩であります。
この話は今週初めのアイリッシュタイムズに載ってたんですけど、なんで載ってたかっていうと、イースター蜂起でも活躍したマルキエビッチ伯爵夫人の自筆の書簡がオークションにかけられるそうで、その中でイギリスに対する怒りをぶちまけてるらしい。ドイツ頑張れ、イギリス負けろ、とか。その書簡の中にダブリン標準時廃止に対する不満も綴られているそうです。
タイムゾーン変える、変えないの現在の議論に戻りますけど、イギリスと一緒に変えるのじゃなきゃ面倒くさいことになるんじゃないか (地続きの北アイルランドと時差ができることになるので) とか、いや、イギリスは EU 脱退するかもしれないし、そしたらブリュッセルに合わせるってことで中央ヨーロッパ時間にすりゃいいんじゃないの、とか、当たり前ですけど、時間って純粋な自然の摂理じゃなくて、政治的な思惑からは逃れられないものなんだなあと、あらためて思うのでありました。
(冒頭の写真は特に有名でも何でもないウチの近所の通りにある時計。2枚目はマルキエビッチ伯爵夫人)