たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

マーガレット・サッチャー (1925 -2013)

サッチャーさんがお亡くなりになりました。イギリスのスカイニュースは夜中近くになると、翌朝の朝刊をネタにコメンテーターが 2 人ぐらいで議論するというコーナーをやるんですが、昨日はもうこれまでみたことないくらい大激論だった。1 人は保守党支持でサッチャーを大絶賛。もう一人はゴードン・ブラウン命の労働党支持者で、サッチャーをディスりまくってちょっと感情的になっていた。

 

サッチャーに直接的に痛い目に遭わされたわけではない諸外国では、労組の既得権益の打破などに剛腕を発揮し、停滞した英国を蘇らせた信念のリーダーとして人気は高いわけですが、彼女に煮え湯を飲まされた人がいっぱいいるイギリス国内においては、彼女の評価は「Divisive」「polarised」(両極端にわかれる)のようです。

 

キャメロン首相は「(サッチャー)は国を率いただけではない。私たちの国を救ったのだ」「イギリスで最高の平和時の首相」と最大限の賛辞を贈りますが、グラスゴーのジョージ広場ではシャンペンを抜いて祝う人はいるは、かつて炭鉱で働いていた人は「She was a scum (くそ。かなりきつい罵り言葉)」とインタビューで答えていました (街頭インタビューじゃなくて、カメラクルーを自宅に招き入れてのインタビュー)。

 

イギリスの新聞はどれも彼女の大きな顔写真が一面を飾っていましたが、中でも素晴らしいのがタイムズ紙のこれ。モスクワを訪れたときに撮影されたものだそうですが、映画のワンシーンのようです。

 

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アイルランド一般紙のアイリッシュタイムズとアイリッシュインディペンデントはともに、北アイルランド問題の和平プロセスの礎になったといわれる英愛協定 (Anglo-Irish Agreement) のときの写真をもってきました。サッチャーと共に写っているのが当時のアイルランド首相、ギャレット・フィッツジェラルドです。

 

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タブロイド紙の方は、2 紙は提携しているイギリス紙の構成をそのまま使っていましたが、2 紙はアイルランドの話題にメインストーリーを差し替えていました。死産がほぼ確実だったのに中絶の処置をしてもらえず本人も死亡してしまった妊婦さんの事件の調査結果があがってきたんですが、それに関する記事。

 

外交面では国際的にはフォークランド紛争に注目が集まるのは当然のことだと思いますが、アイルランド的にはやはり当事者でもあることですし、サッチャーの北アイルランドへの対応が議論の的となります。

 

彼女が在任した 1979 年からの数年間は北アイルランド紛争も非常に激しい時期で、首相就任直前には親しい友人でもあり影の内閣・北アイルランド担当相だったエアリー・ニーブが暗殺され、1983 年には党大会が開かれていたブライトンで宿舎のホテルを IRA が爆破。サッチャー自身にけがはありませんでしたが、保守党関係者 5 人が命を落とします。

 

大問題に発展したのは、投獄されていた IRA/INLA のメンバーたちが政治犯のステータスを求めて開始したハンガーストライキです (1981 年)。サッチャーは「Crime is a crime is a crime」(政治犯なんかじゃなくて単なる犯罪人は単なる犯罪人) と言って一切妥協せず、結局 10 人が餓死しました。このせいでサッチャーは今でも共和派には憎まれていて、シンフェイン党首のジェリー・アダムズは「サッチャーは両方の島 (アイルランドとブリテン) の人々に大きな苦痛を与えた」と昨日語っていました。

 

しかし、先に触れた 1985 年の英愛協定の締結により、和平のきっかけを作ったことも事実なわけです。これは、南のアイルランド政府に北アイルランドに関する発言権を認めるものだったので、北のロイヤリスト (プロテスタント) 側の人はサッチャーを裏切り者呼ばわりしました。サッチャー自身ものちにこの協定を結んだことを後悔していると述べています。協定によって IRA などを孤立化させることができると踏んでいたようなのですが、思い通りにいかなかったことが理由らしい。

 

彼女がアイルランドに対して強硬な立場を取らなかったら、アイルランドとイギリスの関係はこれほど良くはなってなかったのか、それとももっと良くなっていたのか、それは歴史の IF の部分ですから誰にもわかりません。アイルランドに住んでいるのであまり大きな声では言えないのですが、私は個人的にはサッチャーさんは優れた政治家だったと考えています。これは、まあサッチャー政権時に私はここにいなかったというのも関連しているとは思います。

 

日本も自民党でエスタブリッシュメントとのしがらみが少ない女性が総裁・首相になったときに大きな転換点が来るのかもしれません。ただ、たとえば片山さんや野田さんには荷が重すぎると思いますが。

 

サッチャーは 9 歳のときに学校でなにかの賞をもらったそうなんですが、そのときのことを振り返った彼女の言葉で最後を締めくくりたいと思います。「I wasn't lucky. I deserved it.」(運がよかったわけじゃない。私がその賞にふさわしかたのです)。