たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

リートリムの村

リートリム県にはリートリム (Leitrim) という名前の村があります。リートリム県の名前はこの村の名前にちなみます。人口は2016年の国勢調査で594人。シャノン川とアーン川 (River Erne) をつなぐ運河がこの村の近くでシャノン川と接続します。キャリック・オン・シャノンほどの規模ではないですが、ここにも小さなマリーナがあり、プレジャー・ボートが泊まっています。釣りを楽しむ人も何人か見かけました。

 

歴史的には、このあたりはコナハトとアルスターの間に横たわるシャノン川が浅瀬になっている場所で、戦略的に重要な場所とされていました。1270年にノルマン系アイルランド人とコナハトのゲール人が衝突したアハンキップの戦い (Battle of Ath-an-Chip) はこの村のあたりで発生したと考えられています。

 

リートリムの村の中心にはオルアークス・キャッスル  (O’Rourke’s Castle) という城館があったんですが、今はもう高さ2.8メートル、横13メートルの壁の断片しか残っていません。このキャッスルは15世紀の終わり頃には存在していたことが文献によりわかっていますが、1540年頃までには西ブレフィニの王だったブライアン・オルアークの手に落ちました。今のリートリムとキャヴァンのあたりは中世の頃にはブレフィニ王国というのがありました。もともとはオルアークの一族が支配していたのですが、オライリーの一族の台頭により東西に分裂。西がリートリム、東がキャバンになりました。リートリムの村に西ブレフィニの拠点があったということで、カウンティの名前もそこから取ったということらしいです。

 

かつてはキャッスルの一部だった壁の前には記念碑が建てられており、壁の左端には黒いプレートが埋め込まれています。記念碑の方には、1603年にキンセールの戦いの後に敗走してきたドナル・オサリヴァン・ビアの一行を 当主だったブライアン・オグ・オアルーク (前述のブライアンの息子) が温かく迎え入れたとが記されています。コークを出発したときは1000人だったオサリヴァンの一行は、14日間の徒歩での旅路を経て、到着時には35人に減っていました。黒いプレートの方は、1916年のイースター蜂起で義勇兵として戦った2人を記念するものです。

 

また、近くにはイースター蜂起のリーダーとして処刑されたショーン・マクディアマダ (Sean Mac Diarmada) の記念碑がありました。キャリック・オン・シャノンにも壁画がありましたし、彼はリートリム県の英雄なのでしょう。

 

村にはパブ、ステーキ・レストラン、中華のテイクアウト、美容院、理髪店、レンタル自転車屋さんがありました。川下り、魚釣り、サイクリング、トレッキングなどのアウトドア系の人々が集まる村のようです。

 

アイルランド情報 人気ブログランキング - 海外生活ブログ