リートリム (Leitrim) の村からさらに北上してドラムシャンボ (Drumshanbo) の町に向かいます。ドラムシャンボは声に出して読みたいアイルランドの地名ベスト5には入りますね。もちろん先日訪れたキャヴァン県のバリジェームズダフ (Ballyjamesduff) もその1つです。
ドラムシャンボ (Drumshanbo) の英語の綴りのユニークなところは、「b」の前に「n」が来ていること。英語なら普通は「m」が来るところです。これはもちろん Drumshanbo の地名が元々アイルランド語だったからです。アイルランド語では Droim Seanbhó。「古い小屋の峰」という意味です。
余談ですけど、日本語でバ行やパ行の前の「ん」をローマ字で書くときに「n」ではなくて「m」にするのが私は嫌いなんですよね。御殿場を Gotemba と綴るみたいなのです。ローマ字表記は英語話者向けだけではないので、日本の表記ルール(「ん」は「n」)で押し通せばいいのにな、と思っています。
実はドラムシャンボには以前から来たいと思っていました。ザ・シェッド・ディスティラリーという新しい蒸留所ができていて、見学ツアーもやっているのです。それに参加したお話はまた明日書きます。
ドラムシャンボの近くにはスリーヴ・アン・イアレンという山があって、ハイキング・コースにもなっています。町のはずれにはビジター・センターも開設されているのですが、残念ながらシーズンオフで閉館でした。キャリック・オン・シャノンのツーリスト・オフィスも冬期間ということで閉まっていましたし、やっぱりアイルランド国内を見て回るのは4月から9月までの間の方がいいのですよね。日も長いし。
ドラムシャンボの町は、三叉路を中心として活気のある商店街が広がっています。車道と歩道の間に古い石垣が残っているところがあって、それが風情を醸し出しています。
この町は文化的な資源が豊かな場所でもあるようです。毎年6月の第三週にはジョー・ムーニー・サマー・スクール・フォー・アイリッシュ・ミュージックというフェスティバルが開かれます。世界中からアイルランド音楽の愛好家が集まり、楽器やダンスのレッスンを受けたり、ワークショップに参加したりするそうです。日本人の参加者も少なからずいらっしゃる模様。ジョー・ムーニーさんというのは、リートリム県とドラムシャンボの町の発展に貢献した県会議員さんです。
また、ドラムシャンボではアン・トースタル (An Tóstal) という文化/スポーツ・フェスティバルが1953年以来、毎年行われています(コロナ期は除く)。An Tóstal はアイルランド語ですが、英語では「The Gathering」。日本語にすれば「集い」でしょうか。実はこのフェスティバルは1953年にアイルランド全国で始まった大々的なもので、ドラムシャンボ以外のたくさんの町でもイベントが開催されました。切手も発行されましたし、オークションで当時のポスターが出品されているのを見たこともあります。今は亡きパンナムが発案者だったので、主にアメリカの観光客を呼び込む目的があったのでしょう。
しかし、1958年を最後にドラムシャンボ以外ではイベントは打ち切られてしまいました。ただ、現在も行われているナショナル・タイディ・タウン・アワード (National Tidy Town Awards) やローズ・オブ・トラリー (The Rose of Tralee) は、アン・トースタルのイベントから発展したものだそうです。
街なかにアン・トースタルの思い出の写真が張り出されていました。
その隣にあったのがシットコム『ファーザー・テッド』のテッド神父とドゥーガル神父の写真です。『ファーザー・テッド』のエピソードでドラムシャンボの名前が出てくるのがあるんですね。ジャック神父が死んで (最後に生き返るんですが)、テッドとドゥーガルが思い出を語り合います。ジャック神父は神学校の教師時代にはとんでもない暴力教師で、その教えを受けたある神父がテッドに「ジャック神父以上に私に影響を与えた人はいない」と言ったそうです。ドゥーガルが「その神父、いまどうしてるんだっけ?」ときくと、テッドが「Do you remember the Drumshanbo massacre? That was him」(ドラムシャンボの大虐殺を覚えてる? あれヤったのは彼だよ) と答えるというわけです。もちろんドラムシャンボの大虐殺なんて事件は実際には起きていません。