私の好きな三大女性ボーカリストは、アストラッド・ジルベルト、ジェーン・バーキン、そしてマリアンヌ・フェイスフルです。これに山本潤子さんを足して四天王にしてもかまいません。
マリアンヌ・フェイスフルは割といいところのお嬢さんで、お父さんが大学教授、お母さんが貴族の出自かなんかなんですよね。ローリング・ストーンズのパーティーに出かけてそこで音楽プロデューサーに見いだされ、歌手としてデビュー。ミック・ジャガーの恋人だったことでも非常に有名です。
フェイスフルがジャガーと別れた後、アイルランド人と婚約していたことを今回初めて知りました。その婚約者が先日亡くなったので、フランク・マクナリーさんというコラムニストがアイリッシュ・タイムズに記事を書いていたのです。
この人の名前はパディー・ロスモア (Paddy Rossmore)。モナハンの出身。オランダのプロテスタント系の貴族の血を引いています。
1973年、アイリッシュ・タイムズはダブリンにできたクールマイン (Coolmine) というドラッグ・リハビリ・センターの特集を組みます。この設立者がロスモアでした。ロスモアは、ある ”友人” の体験にインスパイアされてこの施設を立ち上げたと説明しています。記事の中では名前は明かされていませんが、その “友人” というのが彼の婚約者でもあったフェイスフルでした。
フェイスフルは1970年にジャガーと別れ、16歳年上のロスモアと付き合うようになります。ロスモアはジャガーとは正反対の人で、ほとんどの時間をモナハンの自分のエステートにあるコテージで母親と過ごしていました。すごくおとなしいタイプの人だったみたいですね。学校はイートン校とケンブリッジを出ています。
彼の友人は、「ロスモアには明るい誰かが必要なんだ」と言っていますが、フェイスフルがそれに当てはまるかどうかは微妙なところ。フェイスフル自身の回想によれば、つきあっていた12か月間、彼女はほとんど睡眠薬で昏睡状態だったそうです。
フェイスフルはアイルランドでもそれほどファッショナブルとは言えないモナハンにやってきて、ロスモアと一緒に暮らし始めるのですが、彼女とヨリを戻したいジャガーがやってきて、鉄製のゲートを打ち破ろうと車をぶつけてきたそうです。
残念ながらフェイスフルはレディー・ロスモアになることはなく、2人は別れてしまうのですが、ロスモアはものすごく真面目な人だったようで、フェイスフルと同じように薬物中毒に苦しむ人たちを助ける方法はないかと考え始めます。
まず、ダブリンにおいて中毒患者にどのようなヘルプが提供されているか調べたんですが、当時はまだそんなものはほとんどなかったんですね。ですので、ロンドンに行ってみれば? とアドバイスされます。ロンドンのフェニックス・ハウスという場所で、もともとはアメリカ発のグループ・サイコセラピー・セッションというものが行われていて、それを学んでダブリンに戻ります。
クールマイン・センターは最初は小さな施設でしたが、瞬く間に成長し、多くの命を救いました。現在もダブリンのリハビリ施設として中心的な役割を担っています。
ロスモアは写真にも真剣に取り組んでいて、写真集も出しています。被写体はアイルランドの大きな屋敷で、廃墟となっているものも多く含まれます。彼のエステートの屋敷も1970年代に取り壊されたそうなので、個人的な思い出が投影されていたのかもしれません。
フェイスフルは別れた後もロスモアからもらった婚約指輪をはめていたのですが、どこかのドラッグ・ディーラーの洗面所で失くしてしまったそうです。