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『フェアリーテール・オブ・ニューヨーク』の製作秘話 (後編)

(前編から続く)

 

ザ・ワールドというクラブで最初の公演を終えた後、後に『フェアリーテール』のプロモーション・ビデオの監督を務めることになるピーター・ドハティ―と俳優のマット・ディロンが楽屋に訪ねてきた。その頃のディロンは『ランブル・フィッシュ』や『アウトサイダー』などで売り出し中の若手俳優だった。ディロンはマガワンの手にキスして、「すごいよかったよ (I love your shit)」と言ったそうだ。

 

翌年、バンドはスティーブ・リリーホワイトをプロデューサーに迎えてアルバムの製作に取り掛かる。ロンドンのRAKスタジオでのセッションで、彼らはもう一度『フェアリーテール』にチャレンジしてみることにした。問題はファイナーのアップビートのセクションとマガワンのスローテンポのセクションがうまくつながらないという点だった。リリーホワイトが提案した解決策はシンプルだった。「2つのパートを別々に録音して、後で編集でくっつければいいんじゃないの?」

 

リリーホワイトはポーグスとの出会いについて、バンドの早い段階、つまり、勢いに火が点いて急上昇しているけれども、狂ったようなブームに巻き込まれる前にポーグスと関わることができてよかったと言っています。

 

さあ、最後に残った問題は、女性ボーカルをどうするか。オリオーダンが1986年10月にバンドを去っていたからだ。クリッシー・ハインド (プリテンダーズ)やスージー・クアトロなどの名前もあがっていたようだ。この時点では、誰もマッコールのことは頭になかったのではないか、とファイナーは語っている。

 

マッコールをデュエットの女性パートに、というアイデアを持ってきたのはリリーホワイト。その当時、マッコールは彼の妻で、契約や精神的な問題により、キャリアが停滞していた。そういうこともあってか、バンドのメンバーはマッコールを起用することに当初は確信を抱いていなかった、とリリーホワイトは言っています。

 

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ところが、彼がマッコールの歌を自宅のスタジオで録音し、バンドに聞かせたところ、メンバーはその素晴らしさに言葉を失うほどだったという。マガワンにいたっては、自分のボーカル・パートを取り直すほどの入れ込みようだったそうだ。

 

(マッコールがモーターボートの事故で2000年にこの世を去った後、彼女のパートはシネイド・オコナー、ケリス・マシューズ、ケイティ・メルアなどが歌っています)

 

『フェアリーテール』は説得力のあるストーリーを持つ歌に仕上がりましたが、そこにすべてが語られているわけではありません。主人公の男女の口論は、男がトラ箱から出たあと起きたものなのか、それとも男の想像に過ぎないのか。「バーのようにデカい車」という表現や、『ゴルウェイ・ベイ』(1948年のビング・クロスビーのヒット曲) が登場することから、曲の舞台はどうやら1940年代のようです。マガワンは、登場人物は年配の男女だと言っています。

 

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また、ストーリーの語り手は信用できるのか、という問題もあります。マガワンによれば、「男は路上生活者で、めったに起こらない19倍という馬券を当てたという。だから、彼が本当のことを言っているかどうかすらわからない」。

 

彼は、登場人物の2人はともに彼の分身だと言います。「ばくち打ちという自分を男に投影しているし、大酒飲みでシンガーだという自分を女に投影している。おれはモルヒネの点滴を受けながら病院にいたこともあるし、クリスマス・イブにトラ箱に入ったこともある」。

 

最後の節がこの曲のすばらしさに留めを刺す、と記者は書いています。マガワンが歌う。「おれは何者にかになれたんだ」。マッコールが反駁する。「それは誰だって同じよ」。マッコールが男を責める。「あなたが私の夢を奪った」。マガワンはこう答える。「おまえの夢はおれがずっと守っている / おれの夢と一緒にな」。したがって、最後のコーラスはもう、つらい過去を思い出していがみ合っているのではない。ためらいがちな和解の兆しが感じられる終わり方なのです。マガワン:「エンディングはどのように解釈することも可能だよ」。

 

プロモーション・ビデオは感謝祭の週に撮影されました。マット・ディロンはマガワンを逮捕するNY市警の警官の訳を演じました。NY市警には実際にはコーラス隊は存在しません。監督のドハティーは代わりに市警のバグパイプ隊に依頼しました。彼らは『ゴルウェイ・ベイ』の歌詞を知らなかったので、コーラス・シーンを撮るのに『ミッキー・マウス・クラブ』のチャントを歌わせたそうです。

 

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『フェアリーテール』は、参加したすべての人にポジティブな影響を与えました。マッコールはポーグスのツアーに参加し、ソロ・キャリアを再び軌道に乗せました。この曲は1987年のアイリッシュ・チャートで1位に輝き、イギリスではペット・ショップ・ボーイズの『オールウェイズ・オン・マイ・マインド』には惜しくも及ばなかったものの2位を獲得しました。マガワン:「アイルランドでトップになったことが自分にとって重要なんだ。イギリス人がこんなに趣味がいいとは思ってなかったよ」。リリーホワイト:「1位になったことがないというのがいいんだよ。これは、逆境の中でがんばっている人たちのための曲なんだ」。

 

バンドは1991年にマガワンをクビにし (「何でそんなに長くかかったんだ」と彼は言っています)、10年後に彼を呼び戻し、遂に2014年に解散しました。したがって、『フェアリーテール』のストーリーをバンドはなぞっているともいえます。希望に満ち溢れた若い時代、苦い仲たがい、そして微妙なバランスの上に成り立った関係の修復。

 

ファーンリー:「僕たち自身も同じようなストーリーを紡いできた。希望にあふれていた時期があり、衝突した時期があった。しかし、何だかどうしようもないものが僕たちをつないでいる。願わくは、これからもずっとそうであってほしいね」。

 

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