たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

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ジェリー・ライアン (1956-2010)

アイルランドのラジオ・パーソナリティ/テレビ司会者のジェリー・ライアン (Gerry Ryan) さんが先週の金曜日になくなりました。夕方に友だちのブログを読んでて知ったんだけど、とても驚いた。53 歳。

 

アイルランドは 1989 年まで民放ラジオ局がなかったので、現在ビッグネームになってる人でも海賊放送に関わってた人は多いんだけど、ライアンさんも 1970 年代に海賊放送の DJ としてキャリアを始めました。

 

1979 年に RTE (アイルランドの NHK みたいな局) と契約を結ぶとメキメキ頭角を現し、1988 年に「ジェリー・ライアン・ショー」っていう平日午前中の帯番組をまかされることになります。この番組は、死の直前の先週木曜日まで 22 年間にわたって放送されました。

 

ライアンさんの語り口は、あけすけで議論を巻き起こすスタイルでした。彼の死を伝える新聞記事のひとつは彼のことを「Impish, irrelevant, crass and supremely intelligent」(いたずら好きで、見当違いで、粗野で、この上なく知的) と形容していました。

 

下ネタ好きで (エッチ系と排泄系両方) で自分のプライベートについても大っぴらに語って庶民的な面を見せる一方で、インタビューでは聞きにくいことをズバリと聞いたり、タブーを恐れずリスナーの抱える問題に一緒に取り組んだりしていました。

 

実を言うと、私はあんまりライアンさんのラジオはあまり聞いていなかったです。物言いが大げさな印象だったので。どちらかというと、もうちょっと軽いイアン・デンプシーとかレイ・ダーシーの方が好きでした。それでも、ライアンさんが死んだというニュースはちょっとショックだったんですよねー。賛否両論のある人柄だったから、好きじゃない人もかなりいたと思うんだけど、ある意味アイルランドのアイコン的存在だったのは誰も否定できないんじゃないでしょうか。

 

亡くなった当日の夜に「Late Late Show」っていう RTE の看板チャット・ショーがライブであったんだけど、若い司会者のライアン・トゥブリディは同僚の死に動揺を隠しきれずに目を真っ赤にしながら番組を進行していたし、翌日土曜日の新聞は高級紙も大衆紙もライアンさんの写真を一面にもってきて報じていました。

 

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私はアイルランドに来て 2 年くらいは英語の学校に行ったり、パートタイムで翻訳の仕事をしたりしながらぶらぶらしてたんですけど、その頃は英語の勉強と称してテレビを良く見ていました。その頃よく見てた番組のひとつが、ライアンさんが視聴者の子供をゲストに迎えて大人のチャット・ショーのようにインタビューするっていう番組でした (題名忘れた)。その頃からの付き合いだから (向うは付き合ったつもりはないだろうけど)、やっぱり他人とは思えない。

 

レイ・ダーシーが司会してた「ブラックボード・ジャングル」(小学生が参加するクイズ)もよく見てたから、今でもダーシーさんのラジオを聞いてしまうのかな。やっぱり英語が簡単だから、子供向けの番組が楽しかったのかもしれない。あと、あの頃楽しみにして見てたのは、アメリカのシツコムの「タクシー」の再放送でした。

 

ライアンさんの死因はまだ分かってないみたいだけど、心臓の問題だろうと言われている。Wikipedia みると、安全性が疑われている痩せ薬みたいなのも服用していたみたいだけど。うーん、まだまだ 10 年以上現役で活躍できたと思うのに。RIP。

 

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今日、一般の人が記帳できるように Dawson Street のマンション・ハウス (ダブリン市長官邸) に弔問帳が用意されたんだけど、ご覧のようにかなりの人が並んでいました。