ビューリーズの元マネージング・ディレクターで、ビューリーズの事業にかかわったビューリーズ一族の最後のメンバーであるパトリック・ビューリーさんが77歳でお亡くなりになりました。
パトリックさんは、ビューリーズの設立者であるジョシュア・ビューリー氏のひ孫にあたります。ビューリーズの事業には53年間携わりました。
パトリックさんは1996年にフェアトレード認証のコーヒーを初めてアイルランドに輸入した人だそうです。
ビューリーズは1840年の設立。パトリックさんのおじいさんのアーネストさんが事業を拡大し、シカモア・アリーからサウス・グレート・ジョージズ・ストリートに移転して紅茶と砂糖を打っていました。
コーヒーの卸売りを始めたのはウェストモーランド・ストリートにあった店ですが、カフェの運営にも力を入れていました。パトリックさんのお父さんのジョーさんはジャージー牛を買っていて、その牛からとれたミルクとクリームを毎日カフェで使っていたそうです。
パトリックさんは、ダブリンのソーズ (Swords) にあるノックセダン・ハウスという農場で生まれました。ウォーターフォードにあるクエーカー教の学校を卒業した後、会計士となり、ストークス・ブラザーズ & ピム (後の KPMG) という会計事務所に勤めました。
1965年にビューリーズに入社したパトリックさんは、まず6か月間、カウンターの後ろでコーヒーを淹れ、その後店頭にたってコーヒー豆と挽いたコーヒーを売りました。ウェストモーランド・ストリートのマネージャーとして働いた後、1977年から2003年まで同社のマネージング・ディレクターを務めました。
私がアイルランドに来た 90 年代は、グラフトン・ストリート、ウェストモーランド・ストリート、サウス・グレート・ジョージズ・ストリートの3店舗とも健在で、よく行きました。広々とした店内、高い天井、レトロな雰囲気、きれいなステンドグラスなどが特徴でした。この3店舗以外にも何か所か小さなビューリーズ・カフェがあって、たとえばスティローガンのショッピング・センターにもあったとおもいます。店員さんの制服はメイド服でした。今みたいにカフェがどこにでもあるといった感じではなかった時代です。