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ナイトクラブ『スターダスト』の火災から40年

 

 

ダブリン9区のアーテイン (Artane) にあった人気ナイトクラブの「スターダスト」が火事になり、48人が亡くなった事件。アイルランドに長く住む人ならおそらく一度は聞いたことがあるかと思います。

 

www.irishtimes.com

 

火災が発生したのはちょうど40年前のこの日、バレンタインデーの未明です。死亡したのは18歳から25歳までの若者たち。負傷者は200人以上。多くはアーテイン、クーロック、ドニーカーニー、ボーモントなど、付近のワーキング・クラス・エリアからの客でした。

 

 

 

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これまで、調査委員会、被害者補償委員会、国会による二度の再審理などがありましたが、遺族に心の平穏をもたらすものはありませんでした。

 

火災のすぐ後に開かれた調査委員会では、122日間にわたって、363人の目撃者から話を聞きました。委員会は、建築基準を守らせなかったことでダブリン市役所を批判し、防火サービスが不十分だったことで環境省を批判し、非常口に鍵をかけるなど向こう見ずな危険行為についてオーナーのエイモン・バタリー氏を批判しましたが、この災害に関して訴追されたものも、解雇されたものも、謝罪したものもいませんでした。

 

また、火事の原因は特定できないものの、火事は客席から発生し、放火だった可能性もあるとしたのです。これは遺族の心の傷に塩を塗るものでした。火災を起こしたのは客の方だったというわけですから。

 

娘2人を亡くしたクリスティン・キーガンさんとジョン・キーガンさんを中心としたキャンペーンにより、2008年に再審理が実現します。遺族側は新しい証拠をもとに、火災の発生場所は可燃物を置いた屋根裏の貯蔵庫だと主張しますが、新しい調査委員会の設立にはいたりませんでした (ただし、前回の放火という調査結果は公式に削除されました)。

 

同様に2017年の再審理でも証拠不十分により新しい調査委員会の設立は否定されます。

 

多くの人がこれですべてが終わったと思いました。しかし、キャンペーンから去っていった人たち、そしてキャンペーンに一度も参加したことのなかった遺族が戻ってき始めたのもこの頃からなのです。

 

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サマンサ・カレンさんとお母さんのヘレナ・マンガンさん

 

サマンサ・カレンさん (44) は、シングルマザーのヘレナ・マンガンさん (当時22) を火災で失いました。子供時代、周りの人たちはサマンサさんが傷つかないようにスターダストの話をするのを避けていたそうです。「母が死んでいたのが事実であることはわかっていました。しかし、母が帰ってくると自分に言い聞かせることが私なりの対処の仕方だったのです」

 

周りの人が傷つくのが見たくないから、自分も傷ついていないふりをしていたそうです。10歳の頃から彼女は神に祈ります。「母をここに返して、私を代わりに連れて行ってください。そうすればみんな幸せになります」

 

「3年ほど前に検視報告を読むまでそれは続きました。そのときになってようやく『母は帰ってこない』と受け入れる準備ができました」

 

サマンサさんはキャンペーンの会合に出かけ、他の遺族と会い、こここそが彼女のいる場所だと悟ります。「母に声を与えなければ。同じ痛みを持つ人々と同じ答えを探しています」

 

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モーリス&フィリス・マクヒュー夫妻 (共に81)は、火事の起こった当日、結婚式に出席するためにマンチェスターにいました。14日の午前中に電話がかかってきます。ダブリンでひどい火災があって、一人娘のキャロラインさん (当時17)が行方不明だという知らせです。

 

モーリスさん「最初の頃は遺族のミーティングに毎回参加していました。しかし、議論というより言い争いになることが多く、私は離れました。2人とも仕事に没頭し、私は週に7日働きました」

 

「2人とも11年ほど前にリタイアしました。キーガンさんや娘のアントワネットさんが電話をくれて、会議に来ないかと誘ってくれていたのですが、心の傷が深すぎて参加する気持ちにはなれませんでした。気持ちが変わったのは3年ほど前。行ってみようという気になり、今はキャンペーンの委員会に参加しています」。

 

2人ともキャロラインさんの亡骸は見ていないそうです。「生前の彼女の姿のままで覚えておいた方がいい」とアドバイスされたからです。確認は歯形で行われました。髪はなくなり、手足は焼け落ち、残っているのは上半身だけだったそうです。

 

「私たちは真実が知りたい。子供たちはなぜ鍵のかかった逃げ道のない建物に閉じ込められてしまったのか。誰かが知っているはずでしょう。なぜ教えてくれないのか」

 

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モーリス・フレイザーさん

 

モーリス・フレイザーさん (62)は、仲の良かった妹のセルマさん (当時20) を失いました。モーリスさんの両親は火災から11年以内に共に56歳で亡くなりました。「2人とも失意のまま死んだと思います。父は放火という調査結果をけっして受け入れようとしませんでした。たくさん問いたいことがあったと思います。答えは返ってきませんでしたが」

 

モーリスさんは、20年ほど前に妹のために正義を勝ち取るんだ、と決意。それ以来、キャンペーンの中心メンバーとして活動しています。

 

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火災後


エロール・バックリーさん (58) は、火災のあった夜にスターダストで開催されたダンス大会の優勝者です。兄のジミーさん (当時23)と友人のマイケル・グリフィス (当時18)が犠牲になりました。

 

「私は重い罪の意識を感じています。私がダンスをしていなかったら、私たちはあそこにいなかっただろう、と。母は長男が死んだことにうちのめされていました。母は真実を知りたがっていました。あの夜、何が起きたのか? 火事の原因は? なぜあんなに速く火が広がったのか? 電気の問題か? キッチンからか?」。母のエリザベス・バックリーさんは2006年に83歳で亡くなりました。

 

キャンペーンを続ける遺族にとって希望の火が灯ったのは2019年9月のこと。検事総長のシェイマス・ウルフ氏が新しい調査を命じたのです。この調査は今年始まる予定です。遺族側は、代理人としてベルファストのダラ・マッキン弁護士を雇います。彼は、北アイルランド紛争における過去の死に関して調査を要求する訴訟で有名になった人。

 

両親の後を継いでキャンペーンの先頭に立って頑張ってきたアントワネット・キーガンさん (つまり、姉妹を火災で失くしています)「ダラが付いてくれたことで、私たちはとても楽観的です。国際的な独立した専門家を味方にしたわけですから」。

 

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アントワネット・キーガンさん

 

「家族にとって、これが最後のチャンスとなります」とマッキン弁護士は言います。「調査がまた失敗したなどということがあってはなりません。そうならない自信があります」

 

今回の調査では、人権と基本的自由の保護のための条約 (ECHR) を適用するように検視官のミラ・クリナン博士に依頼します。これは、これまで、北アイルランドヒルスボロの悲劇 (サッカーの試合で観客が圧死した事件) で適用されたことはあるものの、アイルランド共和国では初めてのこと。

 

これにより、今回の調査では、48人の犠牲者の「生きる権利」を守るための責任を国やその他の当事者がどう果たしたかが検討されることになります。「誰が」「いつ」「どのように死んだ」という事実に重点が置かれ、「なぜ」や「有責性」は検討されない場合もあります。

 

マッキン弁護士によれば、ECHRの適用により、死の状況をより広く調査する必要が出てくるため、「どのように」の定義に大きな違いが出てくるそうです。「検視官の報告書は、通常の調査に比べてより判断的 (事実だけでなく) になり、生きる権利の侵害を識別するものになる可能性があります」

 

これまでの調査は遺族にとっては失望するものでしたが、良い点は、証拠がしっかりとした形で書類として残っていること。2017年のロンドンで起きたグレンフェル・タワー火災やニューヨークの9/11の惨事の調査も行った専門家がこうした資料のチェックにあたっているそうです。

 

調査後についてマッキン氏は、「有責性が指摘されれば、そこからしかるべき当事者の責任を追及することになる」と言います。

 

アイリッシュ・タイムズの記者が話したすべての遺族は、昨年亡くなったクリスティン・キーガンさんと娘のアントワネットさんの粘り強さに感謝の気持ちを表していたそうです。

 

 

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