明治に元号が変わる前後から、外国人居住地に住む外国人向けにはさまざまなウイスキーが持ち込まれていたようなのですが、日本人への販売を目的として初めて輸入されたウイスキーは、1871 年に横浜山下町のカルノー商会が取り扱った「猫印ウヰスキー」であるとされています。
たとえば、土屋守さんが書かれた『ウイスキー通』にも、「1871(明治4)年に横浜山下町のカルノー商会が輸入した通称「猫印ウイスキー」で、これが日本人向けのウイスキー輸入の最初の記録だとされています」とあります。
そして、この猫印ウイスキーというのは、19世紀後半には世界を席巻していたアイリッシュ・ウイスキーであり、その銘柄はバークス (Burke's) である可能性が高いのではないかと言われています。
そのあたりについては、ウイスキー・マガジン誌に石倉一雄さんが『戦前の日本とウイスキー 』というタイトルの記事で詳しく解説されているほか、こちらの特許翻訳者の方も各国の商標データベースなどを資料としてブログで詳細に検証されています。
少し話が横にそれますが、私は2016年頃からアイルランドのウイスキーやビールのグッズを集め始めました。E-Bayのようなオンライン・オークションで買うこともありますが、オークション会場に出かけて札を上げて買ったりもします。
そういうオークションに初めて出かけたときか、2回目だったかに、下の写真のアイテムを競り落とすことができました。
バークス・ウイスキーのパブ・ミラーです。パブ・ミラーといっても、正直、かなり雑なつくりです。1.2cmぐらいの木の板と0.8cmぐらいのガラスの間に、おそらく紙のラベルが挟み込まれているというもの、ガラスはいちおう面取りはしてあります。サイズは約45x30cm。
バークス・ウイスキーのトレードマークである猫の姿が見えるでしょうか。猫印のところだけ拡大しますね。
このパブ・ミラーはハンマー・プライスが55ユーロで、手数料等を入れて全部で68ユーロぐらい払いました。
バークス・ウイスキーは、E&J Burke 社というエドワードとジョンのバーク兄弟が創った会社が生産していました。この 2 人は、ギネスの創設者であるアーサー・ギネスの孫で、アメリカでのギネスの独占販売権を取得するなど、アルコール飲料事業を手広く営んでいました。
ウイスキー業者としては、自社で蒸留所を構えていたのではなく、蒸留所からウイスキーを買ってきてブレンドして販売するボトラーだったようです。
バークス・ウイスキーがいつ頃まで販売されていたのかは分からなかったのですが、会社自体は創業が 1848 年、廃業が 1953 年です。アメリカの禁酒法やら何やらで、20 世紀半ばまでにアイリッシュ・ウイスキーは壊滅的な打撃を受けて、数多くのブランドが市場から退場したのですが、Burke's もその中の 1 つだったようです。
ところが、この Burke's ブランドが2017年に復活を果たしたのです。復活させたのは、新興の独立系蒸留所であるグレート・ノーザン・ディスティラリー。限定生産の 14 年モノと 15 年モノのシングル・カスク・ウィスキーが、ダブリンにある Celtic Whiskey Shop というウイスキー専門店でのみ販売されています。お値段は700ml入りで 135 ユーロと 132 ユーロ。1 万 7 ~ 8 千円ですから、高級品の部類ですね。ただ、アルコール分が高くて、それぞれ59%と57.5%です。
猫の下のアルファベットが EJB から GND に変わっているがお気づきでしょうか。
グレート・ノーザン・ディスティラリーは、北アイルランドとのボーダーに近いダンドーク (Dundalk) という街にあります。アイリッシュ・ウイスキー復活の立役者のひとりともいえるジョン・ティーリング氏が中心となって運営しています。操業開始は2015年。
この蒸留所は、もともとはグレート・ノーザン・ブリュワリーというビール醸造所で、ディアジオ (ギネスの親会社) がハープ (Harp) というブランドのラガー・ビールを 2013年まで製造していました。
年間1,600万リットルのウイスキーを生産でき、ポット・スティルと連続式スティルを駆使して、グレーン、トリプル・モルト、ダブル・モルト、ピーティッド・モルト、ポット・スティルのウイスキーを生産しています。自社ブランドで製品を出すというよりも、ボトラーや他のブランドに原酒を提供するのが主なビジネスのようです。
復活したバークス・ウイスキー、ちょっとお値段が張りますが、日本と縁のあるウイスキーということで、お土産にいいかもしれません。