(ほのかにネタばれします)
大昔の話なんですけど、『食人族』っていう映画がありました。欧米人がアマゾンの密林地帯を探検しにいって、現地の人たちに食べられちゃうっていうストーリーを実録風につづった映画です。まるっきりのフィクションなんだけど、封切りのときはドキュメンタリーかフィクションだかよくわからない宣伝をしていたんですね。
私は子供の頃にテレビの洋画劇場でヤコペッティの『世界残酷物語』を見て強い衝撃を受けてしまい、この手の映画に興味があったので、絶対作り物だよなーと思いながら観に行きました。隠してもしょうがありませんので正直に申し上げますと、『食人族』にはエロの要素もありました。内容はとてもつまらなかったです。大ヒットしたそうですけど。
こういうセンセーショナルな映画って、総称してエクスプロイテーション映画って呼ばれるそうです。Wikipedia の定義をそのまま引用しますと、「もっぱら金銭的利益のために同時代の社会問題や話題を映画の題材に利用したり、ヒットした主流映画の比較的わいせつな面に乗じたりするなど、センセーショナルな側面を持つ映画のこと。エクスプロイテーション(Exploitation)とは「搾取」の意味で、観客から金を巻き上げるための映画という含意がある」だそうです。
今、ダブリンの IFI で日本映画の『告白』をやっています。今日の午前中は K ちゃんと一緒の仕事があったので、午後から 2 人で見に行ってきました。平日の午後だし外国語映画なので他に誰もいなかったらどうしようと思ったのでしたが、20 人ぐらい来てました。小屋自体は小さいので、これでも 3 分の 1 くらい埋まっています。
原作の方はお友達に借りて読んだことがあって、そのときに割と積極的に嫌悪感を持ったことはこのブログに書いたと思います。だから、今回の映画もそんなに期待してなかったんですけど、日本アカデミー賞を取ったということだし、こちらで邦画を大きなスクリーンで見られることはあまりありませんから。
映画の中盤まで、私はやっぱりずっと嫌な気持ちで見ていました。登場人物たちがなぜか外の世界や他の人に助けを求めずに、ひたすら内へ内へと向かい、袋小路に入り込んでしまうからです。
だけど、途中で気が付いたんですね。あ、この映画、主要な登場人物はみんな頭がおかしい人やん、と。もともとおかしい人もいるし、だんだんおかしくなっていく人もいます。松たか子さん演じる森口先生は主人公なのでうっかり感情移入してしまうのですが、この人も頭おかしいんですよ。
ここに気づくと映画ががぜん面白くなりました。エイズとか少年法とかのチープな道具立ても許せるようになりますし、原作もそうだったんだけど、プロットはものすごく凝ってて、ある人物の告白で語られた事実が別の人物の告白で覆されたりみたいなことの連続なんで、ストーリーとしてはすごく良くできてます。破滅に向けて突っ走ると言う点では『バトルロワイヤル』に似た感触の映画です。
事前にちらっとこの映画のレビューを読んだりして、重たいテーマであるとか、社会の機能不全を描いた映画みたいなことを書いてあったので、そういう映画だと思い込んでしまった私がいけなかったのです。『食人族』がドキュメンタリーだと思い込んでしまった人みたいです。
そう考えると、映画『告白』は、社会的なテーマがあるようなふりして内容はスプラッターっていうまさしくエクスプロイテーション映画なわけです。BGMがやけに美しい旋律の曲なのもヤコペッティっぽいし。もちろん、作ってる人はわかってやってると思うんですけど、これをアカデミー賞外国語映画賞の日本代表にするのはちょっとおかしいです。
ただ、真面目な話になりますけど、中学生の描き方はフェアではないと思いました。クラス全員がひとり残らずゲスな人間として描かれています。感情移入できる生徒がひとりもいないので、世代全体がエニグマ (謎) として理解不能なもののような印象を与えます。そうしたレッテルを彼らに貼るのは不当なことなんだけど、「今の中学生は怖いですねー」みたいな感想になりやすい。
この映画は15禁なので彼らは見ることができませんから欠席裁判のようなものですし、仮に見ることができたとしても、彼らはまだ反論する言葉を構築できないでしょう。だから、「いまどきの中学生=謎」みたいなステレオタイプをはびこらせないためにも、この映画の社会派サイコミステリーみたいな仕掛けに引っかかっちゃいけないんだ、この映画はよくできたエクスプロイテーション映画なんだと、みんなで言いふらしたほうがいいんじゃないかと思います。
私はどちらかというと、中学生がどうのこうのというよりも、「まともな大人をひとりぐらい出した方がいいんじゃないか?」という感想を持ったんですけど。