たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

バリトア (Ballitore) のクエーカー博物館

ムーンからまた10分ほど車を走らせてバリトア (Ballitore) に移動します。2016年の国勢調査によると人口は800人弱。

 

バリトアはクエーカーと関わりの深い町です。17世紀の終わりに英国ヨークシャーのクエーカーが、このあたりを流れるグリース川 (River Griese) のほとりに集落をつくるためにやってきます。バリトアは、イギリスおよびアイルランドで初めてのクエーカーによる計画集落であり、ヨーロッパに現存する唯一のものであるそうです。

 

町の目抜き通りの一画に小さな図書館があります。その二階がクエーカー博物館になっています。18 - 19 世紀ごろのクエーカーの衣類、家具、調度類などが展示されています。また、この町に生まれたクエーカーで作家のメアリー・レッドベター (1758 – 1826) さんの生涯を中心としたパネル展示もあります。[参考資料]

 

1792年のアイルランドの反乱では、ここバリトアも戦いの場となりました。メアリーは、カトリックでもイギリス国教会でもないクエーカーという中立の観察者としてその戦いの様子や戦いが住民に与えた影響について書き綴っており、当時を知るための貴重な資料となっています。

 

パネルの説明の中に心に刺さる文がありました。

 

Like many Quakers of her time, she found herself a part of, yet apart from, much of the social life of the community.

 

バリトアはクエーカーが一から作った町ではなく、もともとこのあたりに住んでいたアイルランド人のコミュニティもありました。彼女はそのコミュニティの一部であると同時に、そのコミュニティの外側にもいるという複雑な心境です。日本から移民してきてアイルランドで長年暮らす私にも大いに共感できるところであります。文章としても "a part of" と "apart from" の対比が美しいです。

 

バリトアの図書館兼クエーカー博物館

 

アイルランドの反乱から200周年の1998年には、その反乱で亡くなった方を記憶にとどめるためのプレートも作られたようです。次の写真に名前が刻まれているオーウェン・フィンは鍛冶屋で、槍を作ったことを咎められて処刑されました。その次の写真のパディー・デンプシーはユナイテッド・アイリッシュメン協会のリーダーの1人で、バリモアでの反乱で殺された最初の人だそうです。命を落としたのはもちろん彼らだけではなく、メアリーの友人だったジョンソン医師は両陣営の負傷者を平等に手当したせいで処刑されたといいます。

 

 

次の写真は町の中心にあるスクエアに面したシェイカー・ストアというお店。お店というかワークショップで、家具や木製のギフトを売っています。私が訪れたときは残念ながら閉まっていました。この建物は、1770年頃に建てられたもので、クエーカーが計画的に作った村落の初期の面影を今に伝える建築物とされています。クエーカーというのはご存じのように「震える人」という意味です。これは初期のクエーカーの集会では、聖書に現れる現象である「振動」を守るために信者が体を震わせていたからです。シェイカー・ストアの名前もこの「震える」つながりでつけられたのではないかと思います。

 

 

クエーカーとは、キリスト友会 (The Religious Society of Friends) の信者を指す一般的な名称です。キリスト友会は17世紀半ばの清教徒革命のさなかにイギリスで生まれたプロテスタントの一派です。王政復古の時代には信仰を禁じられたのですが (これがおそらくクエーカーがバリトアに移住してきた理由)、1688年の名誉革命後に信仰を認められました。

 

それでも公職に就くことはできなかったため、実業界に身を投じる人も多く、アイルランドではビューリーズ、証券会社のグッドボディーズ、製菓のジェイコブスなどの創業家はクエーカーです。また、人道主義・博愛主義で社会に貢献する意欲が強く、先日ブログに書いた『The Sugar Wife』の演劇でもそれがテーマのひとつとなっています。

 

クエーカーという名前は有名ですが、信者数はそれほど多くなく、全世界で40万人弱です。最も多いのがケニアで約12万人、アメリカは約8万人、イギリスは約25000人です。アイルランドはキリスト友会の公式発表では1600人ですが、2016年の国勢調査では848人でした。

 

豆知識1: 米国ペンシルベニア州を整備したウィリアム・ペンは、イギリス生まれですがアイルランドのコークでクエーカー宣教師と出会い、クエーカーに改宗しています。ちなみに、「ペンシルベニア」という名前は、海軍軍人だった彼の父親に敬意を表してイングランド国王のチャールズ2世がつけたものです。

 

豆知識2: 保守主義のバイブルともいえる『フランス革命省察』を書いたエドモンド・バークは、クエーカーが運営するバリトアの学校で教育を受けています。バーク自身はダブリンの生まれでクエーカーでもありませんが、ダブリンの悪い空気を嫌ってバリトアで教育を受けたといいます。

 

次の写真は、なんだかいい雰囲気のパブだなあと思ってなにげなく撮ったのですが、帰ってきて調べてみたらとても有名なパブでした。

 

 

なぜ有名かというと、3代続けて同じ家族の女性が経営している珍しいパブだからです。「E. Butterfield」と書いてありますが、この E はエリザベスの E です。エリザベス・バターフィールドさんは現在の経営者であるリサ・フェニンさんのおばあさん。リサさんの前にはお母さん (エリザベスさんの娘) のフィロミナ・クリアさんが経営に携わっていました。アイリッシュ・パブの本に取り上げられたり、ドキュメンタリーの題材にもなったようです。[参考][参考2]

 

土曜の午後だったのに扉がしまっていたので、もしかしたらもう店を閉じてしまったのかもしれません。しかし、Google レビューには 9 か月前の口コミが載ってるんですよね。窓も空いてますから、誰かが住んでいるか働いているのは確かだと思います。花なども綺麗に飾ってますし。「E. Butterfield」の文字の上にハープの絵が描いてありますが、この店の正式名称は The Harp であるようです。X (旧 Twitter) のアカウントも見つけました。最後の投稿は去年の11月ですが、年に1回か2回しか投稿してないようです。

 

といいますかですね、このパブが取り上げられたドキュメンタリー、私、見てましたわ。2013年の『The Irish Pub』というドキュメンタリー。ブログにも記事を書いた。Youtube全編を見ることができます。ほんとたまたま写真を撮ったんですが、びっくりしました。

 

別のパブ。こちらはまちがいなく店を閉じているようです。

 

バリトアの郵便局にある壁埋め込み式郵便ポスト。

 

シャムロック。

 

 

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