マリンガーから15分くらいドライブするとベルヴェディア・ハウスに着きます。
ベルヴェディア・ハウスはベルヴェディア初代伯爵のロバート・ロックフォードによって1740年に建てられました。もともとは狩猟の時に使う宿泊所として作られたのですが、そのうちにメインの住居となりました。アイルランドの誇るパッラーディオ建築の 1 つだそうです。
ベルベディア・ハウスはエネル湖 (Lough Ennell) のほとりにあり、見晴らしがとてもいいです。もともと Belvedere という普通名詞は「見晴らしのいい部屋、建物、場所」などを意味します。
このカントリー・ハウスの持ち主だったロバート・ロックフォード伯爵は、猜疑心が強く嫉妬深く執念深い人だったようで、さまざまなヤバい話が伝わっています。
まずこちらの嫉妬の壁 (The Jealous Wall) と呼ばれる建造物。これは廃墟のように見えますが、実は廃墟っぽく作られた壁なのです。ロバートの兄弟のジョージが近くにロックフォード・ハウス (現在の名前はタデナム・パーク・ハウス)という大邸宅を建てたのですが、ベルヴェディア・ハウスより立派なその建物が目に入るのがシャクなので、わざわざ壁を作って見えないようにしたそうです。この壁はアイルランド最大のフォリーであり、アイルランド最大の Spite Wall なのだそうです。Spite Wall とは隣人の景観を妨げるためなど意地悪で作られる高い壁を指します。
また2人目の妻のメアリーが浮気をしているとの噂を耳にし、彼女を約40年にわたって召使と共に幽閉します。ロバートの死後に息子によってメアリーは解放されるのですが、その頃には精神に異常をきたしており、解放後も長くは生きられなかったそうです。浮気の相手というのがロバートの兄弟のアーサーで、彼はロバートに訴えられて2000ポンドの損害賠償を命じられ、そんな大金を払えなかった彼は刑務所に入れられて死ぬまで出ることができなかったそうです。
65ヘクタールの広大な敷地には、ほかにもユニークな建造物がいくつかあります。たとえば石造りの8角柱のガゼボ。見晴らし小屋とでもいうんですかね。1765年頃に建てられたもの。昔はこのあたりでピクニックなんかを楽しんだそうです。昔は屋根もついていました。中央にはライオンが鎮座しています。これもフォリーと呼んでいいそうです。
それからこちらはゴシック・アーチ (The Gothic Arch) と呼ばれるフォリー。1680年頃に建てられたものです。設計したトーマス・ライトによると、隠遁者の棲み処をイメージしたものだそうです。正面から見るとなんだか顔のように見えて不気味ですが、これもライトが意図したものだそうです。
こちらは11世紀ごろのこの辺りを支配したマラキー王の彫刻です。
ベルヴェディア・ハウスはロックフォード家に代々受け継がれてきましたが、戦後にチャールズ・ハワード=ベリーという探検家/植物学者の手に渡り、この人が手間をかけて修繕・改装を行いました。その後ウェストミース県が購入し、大金をかけて修復した後、一般に公開されています。入場料は大人7ユーロ。ベルヴェディア・ハウスの中は見ることができませんでした。(公式サイト)