たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

ハイコンテキストとローコンテキスト

と言う言葉を最近初めて知りました。コミュニケーションを研究している人の間では有名な考え方らしいです。

 

ハイコンテキストの文化とは、高いレベルのコンテキスト (バックグラウンド) を共有してコミュニケーションする文化です。文化の程度が高い低いとかいう話ではないので念のため。

 

日本はハイコンテキストと言われ、英語圏はアイルランドも含めてだいたいローコンテキスト。他にハイコンテキストなのは、東アジア、アラブ、フランスなど。ローコンテキストなのは、ドイツ、フィンランドを除くスカンジナビア。こう聞くと、ドイツ人のメールが長いのは納得。

 

私もアイルランドへやってきて思ったのは、ジョークが通じない。言葉の壁もあるんだけど、自虐ギャグとかはほんんとわかってくれない。真顔で励まされる。恋愛でも、そんなこと言葉にすることないじゃん、っていうところまで言葉にするから、趣がなくなっちゃう。いや、私はあんまり経験ないから知りませんけど。

 

Google 先生で調べてみたら、ハイコンテキストみたいなことは、日本では異文化の人と仕事するときにどうするか、といったビジネスの文脈で語られることが多いみたいですね。

 

だけど、日本人同士のあいだでもローコンテキストみたいなことを意識してコミュニケーションした方がいいのかなって気がすることもある。たとえば、昔は時間がゆっくり流れてたからいいけど、今は移り変わりが激しいから世代間でコンテキストを共有できなくなってきてるんじゃないか。とか。日本は世代間の風通しがほんと悪いと思うんだけど。

 

もちろん、ハイコンテキストのコミュニケーションを捨てるっていうことじゃなくて、ハイとローを使い分けるみたいな意味です。

 

イギリスなんかはテレビで見てるだけですけど、そういう使い分けは凄い。コメディーはほんとにハイコンテキスト。バックグラウンドを共有してないと笑いづらい (アメリカの sitcom はローコンテキスト。ローコンテキストを前提にしてあんだけ面白いものつくっちゃうのも凄い)。だけど、時事番組なんかはローコンテキストが前提で、インタビューする人もされる人もほんとに言葉を尽くす。

 

こういうのも大英帝国時代に異文化の人たちとさんざん切った張ったしてきたからでしょうか。文化の違う人とはどうしてもローコンテキストが前提になるから。あと、イギリスは社会階層の違いもあるし。

 

ちょっと話が飛びますけど、私は去年まで遊びでソフトボールやってたんですね。それで、私はやっぱり日本人だから緻密な野球というか、約束事いっぱい作ってその中でプレーしたいわけです。でも、こっちの人は、ボールが来たらぽーんと打って、大きい当たりが出たら嬉しいみたいなそんな感じですね。だから、これもハイコンテキストとローコンテキストの違いかなーなんて今にして思う。でも、自分としてはハイコンテキストでやらないとつまらないんですよね。

 

それから、また話変わりますけど、すみません。今も言うのかどうか知りませんが、昔は「飲みニケーション」なんて言葉がありました。仕事終わりで職場の人と飲みに行くってやつです。

 

あれも、時間をかけて高いレベルのコンテキストを共有しようとしていたのかなーと思う。だけど、もうちょっとローコンテキストでも仕事できるように癖を付けた方がいいのではないか。ハイコンテキストを共有しなくてもいいのであれば、転職や中途採用もしやすくなって、労働市場の流動性もうまれて、会社に縛られずにみんなが気持ちよく暮らせるのではないか。工場とかはカンバンだシックスシグマだとか言ってあんなに一生懸命合理化するのに、ホワイトカラーの人がコンテキストの共有のために非効率な時間を使うのはあんまりとやかく言われない。飲みに行くのが悪いってわけじゃないんですけど、もっと大事なこともあるだろうと。たとえば、早く家に帰って家族と一緒にご飯食べるとか。

 

あとは、政治家さんですかね。「日本人ならこれはわかってるだろう」のレベルを下げて言葉を尽くすと感じがいいし、菅さんや海江田さんみたいに国民に何しゃべっていいのかわからなくて、おどおどすることもなくなると思います。



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お友達が植物をくれました。