1990 年にアイルランドが初めて W 杯に出場したとき、イングランド、オランダ、エジプトと同じ組になりました。当時は出場国は 24 カ国でしたから、グループ 3 位になっても成績が良ければ決勝トーナメントに進出できる可能性がありました。
アイルランドのグループ F は、2 試合ずつ終わったところで全チームが勝ち点 2 で並びました。ここまでの全試合が引き分けだったわけです。
アイルランドの第 3 戦の相手はオランダ。前半にフリットの得点でオランダがリードしましたが、71 分に GK ボナーのパントの処理をオランダ GK があやまり、クインが蹴り込んでアイルランドは同点に追いつきます。
この時点で、もう 1 つの試合では、イングランドがエジプトを 1 - 0 でリードしていました。このまま終われば、イングランド、アイルランド、オランダの 3 チームの勝ち抜けになります。
その情報がピッチに伝わってくると、両チームの主将であるフリットとマッカーシーの間で、ちょっと言葉を交わしたか、目配せしたか知りませんけど、引き分けで試合を終わらせることで話がついたそうです。
さて、なでしこの佐々木監督が選手たちに引き分けを指示したとインタビューで認めたことが議論になっています。引き分けてグループ 2 位になった方が、決勝トーナメントが楽になるからです。
「フェアプレーの精神」の観点から今回のなでしこの判断を批判している人もいます。常に全力で戦うことこそが「フェアプレーの精神」だと考えている人たちです。だけど、コンペティション全体を通して最善の結果を生むように知力も含めてすべてのリソースを総動員することはなんら「フェアプレーの精神」に反しないと考える人もいます。
私はなでしこが引き分けを狙って試合をコントロールしたことは悪いと思いませんけど、佐々木監督が公にそれを認める必要はなかったと思います。
私は別に、組織防衛のためにはチームのズルを内緒にしておくべきだった、と言っているのではありません。「フェアプレーの精神」のような道徳観の違いによって物議を醸す可能性のある話題は回避すべきだったということです。選手が試合に集中できなくなるし、サッカーにあまり興味のない人 (サッカーをもっと盛んにするために、サッカーの魅力を知ってほしいとサッカー関係者やファンが思っている人たち) をますます遠ざけてしまう可能性があるからです。
正直のところ、監督が上から引き分けを指示するのもどうかとは思います。控えでやっと出番が回ってきたと思ったら点を取るなと言われて面白く思わない選手もいるでしょう。でも、それはチーム内のマネジメントの問題だから、それでうまくいってるんだったら私なんかがとやかく言うことでもありません。
国際舞台の経験を積んで、痛い目に何度も遭って、こういう場面ではこう判断するんだ、みたいなのを、コーチや選手やサポーターが言葉を交わさなくても共有できる、そういうのが「サッカー文化が成熟する」ということかもしれません。
冒頭のアイルランド対オランダの試合でも、監督が特に選手に指示したわけではなく、選手たちが、あうんの呼吸で行動しただけです。ただ、途中交代で入ったアイルランドのカスカリーノ選手だけは物凄く張り切ってプレーしてしまったので、フリットがマッカーシー主将に「おい、あいつをなんとかしろよ」と怒ったそうです。
Tony Cascarino