こちらは、5年ほど前にあるオークションで買った額縁入りのウイスキーの広告です。
思いのほか安く競り落とせて、ハンマー・プライスが20ユーロだったと記憶しています。これに手数料が付くので、支払ったのは25ユーロくらい。文字しか書いていない地味な広告だったので、欲しいと思う人はあまりいなかったのでしょう。
いつ頃のポスターかということですけど、裏に新聞紙が貼ってあって、そこに「アーマー大司教のダルトン枢機卿」の文字が見えます。ダルトンがアーマーの枢機卿だったのは1946年から1963年までなので、おそらくその時期のものだと思われます。
ジェムソンの12年物のウイスキーのポスターですけど、下部に小さめの文字でバゴッツ、ハットン & キナハン (Bagots, Hutton & Kinahan) と書いてあります。BH&K はいわゆるボンダー (Bonder) またはボトラーですね。ボンダーというのは、自前で保税倉庫を持っていて、蒸留所から買ったウイスキーを樽につめて熟成させ、その後、瓶に詰めて消費者に販売するのです。保税倉庫というのは、その中に保管している間は酒税の支払いを猶予されていて、そこから出す時に初めて酒税を払えばよいという許可を得た倉庫のことです。今は蒸留所が自社で瓶詰めしますけど、昔は、樽で各地のボンダー/ボトラーにウイスキーを卸していたんですね。
さて、今回は Bagots, Hutton & Kinahan (以下BH&Kと書きます)について少し書きたいと思います。
会社の登記について調べることができるWebサイトをあたってみると、BH&Kが設立されたのは1927年。会社登記事務所に最後に書類を提出したのは1981年だということがわかります。
つまり、1981年前後には会社としての存在はなくなっていたはずなのですが、最近になってキナハンズ (Kinahan’s) というウイスキーが復活したのです。
この Web サイトの「歴史」ページによれば、キナハンズのブランドは1779年にダブリンのトリニティ・ストリートで生まれました。キナハンズ・ウイスキーはかなり人気があったようで、1819年にはダブリンの中心部に4階建てのビルを構えるようになり、1845年には英国王室御用達となります。
1862年には、アメリカの伝説のバーテンダーであるジェリー・トーマスが、その著書の中でキナハンズ・ウイスキーを取り上げます。また、キナハンズの人気が高いことから、キナハンズのボトルに他社の劣等なウイスキーを入れて販売する不届き者が続出。これを差し止めるためにキナハンズは裁判に訴え、1863年に勝訴します。
ところが、20世紀にはいって潮目が変わってしまいます。アイリッシュ・ウイスキー業界全体が退潮する中、一族の中で経営に大きな役割を果たしていたジョージ・キナハンが逝去。売り上げも低迷します。
会社は1912年にバゴッツ & ハットンに吸収され、BH&Kが生まれるわけです。バゴッツ & ハットンも長い歴史のあるワイン/蒸留酒販売業者だったようです。
BH&Kは米国で禁酒法が始まる1920年にキナハンズ・ウイスキーの販売を終了。その後は、冒頭の広告にあるようにジェムソンを販売したり、バゴッツ (Bagots) というブランドでウイスキーを販売していたようです。
そして、キナハンズ・ウイスキーが、100年近い眠りから目覚めて復活したのは2014年のことでした。
(後編に続く。後編では、復活したキナハンズ・ウイスキーの謎に迫ります)