一昨日に「世界にはばたくアイリッシュ・ブランド」ということでアイリッシュタイムズの記事からスードクレムをご紹介しましたが、今日はその記事の残りについて書いてみたいと思います。
アイルランドから世界にはばたいたブランドや、アイルランドのブランドと思われがちだがそれほどでもないブランドなどの特集です。
ジェイコブス・ビスケット
アイルランド人に馴染みの深いキンバリー、ミカド、ココナッツ・クリーム、マリエッタ、フィグズ・ロールなどのビスケットを製造する会社。1851年にウォーターフォードで設立されました。その後、ダブリンに本拠を移し、1970年代にもう1つの大手お菓子メーカーだったボーランドと合併して、アイリッシュ・ビスケッツ社となります。ダブリンのタラ (Tallaght) に製造拠点を構えたのですが、1990年代にフランスのダノンに買収され、2009年にタラの工場は閉鎖されました。アイルランドにおけるジェイコブス・ブランドは、現在はアイルランド企業のヴァレオが所有しています。
アヴォカ
アヴォカというのはウィックロー県にある町の名前でもあります。18世紀半ばから織物の町として知られていました。1920年代にウィン (Wynne) 家の3人姉妹が紡績工場を買収。ジョージ6世のためにベストを作ったり、イギリス貴族のために赤ちゃん用の毛布を織ったりしていました。
しかし、70年代に経営危機に陥り、ドナルド・プラットという弁護士が経営権を取得します。現在のアヴォカは織物だけでなく、宝石、贈答品、食品などを販売するおしゃれ系ショップとして有名なわけですが、これはプラット一族の経営手腕によるものだそうです。
ライオンズ・ティー
ライオンズ・ティーは、バリーズ・ティーと並ぶアイルランド紅茶界の二大巨頭の1つと思われていますが、もともとはアイルランドの会社ではありません。ユダヤ系ドイツ人のソロモン家とグラックスタイン家によりロンドンで設立されました。1895年にチェアマンとなったジョゼフ・ライオンズが1904年に彼の名前を付けた紅茶の販売を開始したのです。
20世紀の前半、アイルランドの紅茶業界は小さな会社が乱立していました。同じ会社が作ったものでも、品質にばらつきがあったそうです。それを初めて全国的な事業にして品質の一貫性を実現したのがライオンズです。このあたりは、日本のしょうゆ業界とキッコーマンの話を彷彿とさせます。
1960年代にライオンズ・ティーは急成長を遂げ、後にコークのバリーズ・ティーが全国展開を始めるまで、一人勝ちの状態だったようです。現在、ライオンズ・ティーの親会社は多国籍企業のユニリバーであり、製造はイングランド北部で行われています。
ジェムソン
ジェムソン・ウイスキーは他のアイリッシュ・ウイスキーと同じくらいアイリッシュだと思われているかもしれないし、今でもアイルランド国内で製造されているのですが、この会社のオーナーは長い間アイルランド人ではなかったのです。創業者のジョン・ジェムソンはスコットランド人であり、その妻はスコッチ・ウイスキーのヘイグのオーナーの娘です。結婚によってウイスキー業界にのめり込んだジョンは、現在はジェムソン・ミュージアムとなっているダブリンのボウ・ストリートの敷地で自らウイスキーの蒸留を始めます。
200年ほどたって、ジェムソン、コーク・ディスティラリーズ (パディー)、ジョン・パワーの大手3社が合併し、アイリッシュ・ディスティラリーズ・グループ (IDG) が誕生します。その後、ブッシュミルズもIDGに加わります。1980年代にグランド・コスモポリタンなどからの敵対的な買収を凌いだのですが、1988年にペルノ・リカールに買収されます。その後、ブッシュミルズはディアジェオに (その後、さらにメキシコのホセ・クエルボに売却)、パディーはサゼラック (ニューオリンズの会社) に売却されました。
ギネス
1759年にアーサー・ギネスが年間45ポンドの賃料で9000年間のリース契約を結び、そこに醸造所を作ったのは有名な話です。最初はエール・ビールを作っていて、そのころは黒ビールのことを知りもしなかったそうです。ポーター (Porter) と呼ばれていた黒ビールは 1722年にロンドンで生まれたそうですが、アーサーは1770年代に黒ビールの醸造を開始し、1799年にはエールの醸造をやめてしまったそうです。1997年にギネスはイギリスのグランド・メトロポリタンと合併してディアジオとなります。
(後編に続く)