たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

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卒業式で先生が国歌斉唱のとき起立を拒否したりとか云々

私は香川県の出身ですけど、卒業式や入学式にはみんなで元気に国歌斉唱しました。君が代の思い出といえば、中学校の音楽の先生が面白い先生で、校歌や国歌をジャズ風にアレンジしてピアノ伴奏してくれていました。だけど、あるとき、予行演習のときだったと思うんだけど、全校生徒の前で校長先生に「もうちょっと普通に演奏してください」とピシャリと言われて、「すんませーん」とか頭をかきながら普通ヴァージョンで伴奏してくれました。

君が代って、男の人は歌いにくいんですよ。なんでかっていうと、「やーちーよーにー」とかの高音部が標準的な男性の声域から外れてるからです。私は声域が人よりちょっと低いので、君が代もちゃんと歌えます。カラオケで歌うのも女の人の曲のことが多いです。聖子ちゃんとか。男の人のは声が出なくなるので。

まあ、そんなことはどうでもいいんですけど。

最近また、学校の卒業式で先生が国歌斉唱のときに起立を拒否して云々みたいな話がニュースになっています。

大阪では橋本知事が教職員への国歌斉唱時の起立・斉唱を義務付ける条例を制定しようと動いています。また、東京では、国歌斉唱時に起立しなかったことで処分を受け、その処分のせいで嘱託としての再雇用を拒否されたということで、元先生が都教委を訴えてたんだけど、最高裁で元先生側の敗訴が決定した。つまり、国歌斉唱時に起立しなさい、という職務命令は合憲であるという判断を最高裁は下しました。

よかった。

もちろん、むりやり国歌を歌わせたり、起立させたりすることで、愛国心が涵養されたりだとか、そんなことは私は思ってません。ていうか、そんなこと誰も思ってないんですよ。都教委も含めて。たぶん。

私は君が代を歌うことに、「人前で歌を歌うのはこっぱずかしいなー」以上の抵抗を感じることはありませんし、国歌や日の丸に負の何かが関連付けられているなら、私なりにそれを引き受けていきたいと考えている者ですが、それでも歌わないと罰するぞ、なんていわれるのは嫌です。それから、そりゃーいろいろ言いたいことはありますけど、日本人でも現在の国歌・国旗を認めないという考えを持つ自由も認めます。最高裁の判決でも、「君が代斉唱で起立を命じることは思想・良心の自由を間接的に制約する」と言っています。

それでもやっぱり先生は卒業式で起立して国歌を斉唱しないとと思うのは、先生にも個人の主義や信条があるのはわかりますけれども、そういったものが、いつどんなときでも最優先されるってわけではないと思うからです。

生徒や学生にとって、自分たちが生まれてきた場所や共同体に愛着を感じることは、彼らがアイデンティティを確立し、自分が自分であることを気持ちよく受け入れるために、とても大切なことです。そういうのって、彼らが自分の存在を疑問や罪悪感なしに肯定的にとられるようにするために、ほんとにかけがえのないリソースだと思うのですね。

だから、公立の学校の先生の職務においては、先生個人の主義や信条よりもそれを優先してほしいということです。

もちろん、君が代斉唱において先生が起立しないことによる良い点もあると思います。たとえば、信念を貫くことの大切さを生徒に教えることができるかもしれません。北海道新聞なんかは、「生徒が歴史に興味を持つきっかけになる」と書いていたようです。まあ、私はそれは別の機会に教えればいいだけだと思いますが。

だけど、重要なのは、雇用主である都教委が、そういう良い点よりも、生徒・学生が自分を気持ちよく受け入れられるようにしてあげることの方が優先順位が高いと考えているのだということです (いや、話を聞いたわけではないので、たぶんですけど)。だから、そういうふうに職務を遂行できる人を雇いたい。それができない人は雇いたくない。そういう雇用主としての判断は憲法に違反しないと最高裁は判断を下したということです。

よかった。

それで、学生たちが「アイデンティティを確立し、自分が自分であることを気持ちよく受け入れる」(以下、自分を「祝福する」と書きます)ことがなぜそんなに重要かといいますと、自分の存在を祝福できる人は、他の共同体に属する人が彼ら自身の存在を祝福することも理解できるはずだからです。そして、何かそのことで利害の対立が生じたら、お互いを尊重しながら解決点を探ることができるでしょう。

ところが、自分の存在に懐疑的な人は、他の国の人が懐疑的になってなかったら、なんでおれがこんなに懐疑的に振舞ってるのに、君らは能天気に自分のこと祝福してるんですか、っていう話になります。自分がちょっとマイナス方向に目配りできるから、相手にもマイナスを考えることを強要する人がたくさんいる世の中よりも、自分がプラスのことを考えてるから、相手がプラスに考えてることも認められる、そういう見方をする人がいっぱいいる世の中の方がぜったい住みやすいですよね。

沖縄タイムズは、「サッカー日本代表イレブンが君が代を歌う、中には歌わない選手も 決して強制されるものではない」なんて書いてますが、これは違います。主義主張があって歌ってないわけじゃないから。たとえば、国歌が演奏されるときに主義主張があってそっぽ向いてるとか、座り込む選手がいたら、それは相当言われるでしょう。その選手は、日本代表でプレーすることを選択しながらそういう態度を取ったことについて、事細かに説明しなければならないでしょう。これはどこの国でも同じと思います。

サッカーの話になりましたけど、アイルランドの代表チームは全員が国歌を歌うわけではありません。なぜかというと、歌詞がアイルランド語なんで、イギリス生まれの選手の中には、歌詞を知らない人がいるんです。ただ、やはり選手が歌うことは肯定的にとらえられるみたいです。キルバーン選手なんかはイギリス生まれだけど歌ってたと思う。

あと、国歌を歌うときに、代表チームによってしきたりみたいなものがあります。たとえば、メキシコは志村けんのアイーンのように、片腕を胸の前にもってきて地面と水平にして構えます。軍隊式らしいですけど。

アイルランド・チームのしきたりは、国歌を歌うときは必ず国旗の方を向くということです。ロシアでの試合だったと思うんだけど、国旗が選手の真後ろに掲揚されてたことがありました。それで、テレビカメラが選手の表情を抜こうと構えていたんだけど、国歌が始まったとたんに選手が全員回れ右してしまって、映像がぐだぐだになってしまったことがありました。

だから、もしアイルランド代表チームが日本で試合することがあったら、テレビ局の人はここのところを注意しておいてくださいね。

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