ブラウンズヒル・ドルメンから巨大廃墟のダケッツ・グローヴ (Duckett’s Grove) に向かいます。ダケッツ・グローヴはアングロ・アイリッシュのダケッツ家の豪邸でした。同家はこのあたりの土地を12000エーカー (49平方キロ) ほど所有していたといいます。目的地に向かう途中でいきなり出てくるのがこの廃墟。ドケッツ・グローヴのゲート・ロッジ。すなわち、ゲート兼門番小屋です。昔はここから先がダケッツ家の所有地ということだったのでしょう。今は公道になっていますので普通にこのゲートをくぐって大丈夫です。日本だと公道をまたぐように鳥居が立っていることがありますが、こちらは規模が違いますね。
ここからしばらく車で走るとダケッツ・グローヴが見えてきます。もともとは1745年ごろに一般的なジョージアン様式の2階建ての建物だったのですが、1820年半ばから当時の当主だったジョン・ドーソン・ダケットがイギリスの建築家トーマス・コブデンに依頼して城郭風のゴシック・リバイバル様式に作り替えました。ダケッツ家は以前から豪商と政略結婚していて、資金に余裕があったようです。
1908年に最後の男性直系だったウイリアム・ダケットが亡くなった後、2番目の妻のマリアが1916年まで住んでいましたが、一人娘との仲が悪く、1937年にマリアが死んだときにも遺産は娘に相続されませんでした。エステートの価値は当時のお金で約100,000ポンドでしたが、娘に遺産として支払われたのは1シリングのみ。これは「怒りの1シリング」(The Angry Solling) と呼ばれています。
アイルランド独立戦争のころには、空き家となっていたこの邸宅をIRAが基地として使用していました。小作人や使用人の間でタゲッツ家の評判がよかったせいか、IRAが退去するときにも中はほとんど荒らされていなかったそうです。タゲッツ家の土地の権利は国の土地管理委員会が取得し、1930年までに区分けして売却を完了しました。1933年に大規模な火災が発生し、内装はほぼ破壊されてしまいました。火災の原因はわかっていません。
2005年にダケッツ・グローヴを取得したカーロー県は、壁に囲まれた2つのガーデンを整備し、2997年に一般に公開しました。現在はクラフト・ショップとカフェが併設されており、建物のそばまでいって見学することができます。ただし、中は荒れ果てたままなので入ることはできません。
下の写真は火災に遭う前のダケッツ・グローヴです。たぶん絵葉書。ディズニーランドにありそうなフェアリーテールのお城のようであります。ジョン・ドーソン・ダケットさんはそうとうな趣味人だったんでしょうね。