週末恒例のドライブ、今回はモナハン県方面に行ってきました。キャッスルブレイニー (Castleblaney) とモナハン・タウン (Monaghan) を目指したのですが、途中でアーマー県のクロスマグレンに近いところを通るので、まずここに寄り道しました。
クロスマグレンはある程度の規模の町としては最も南にある北アイルランドの町です。当然のことながら共和国との国境にも近いです。
クロスマグレンの名前を昔よく聞いたのは、やはり北アイルランド紛争に関してです。
クロスマグレンを含むアーマー県南部は大多数の住民がカトリック系で、IRAなどの活動も活発でした。あまりにも事件が多いので「バンディット・カウンティ」(無法者の県) などともイギリスでは呼ばれていました。2011年の国勢調査によると、クロスマグレンの住民の96.28%がカトリック系だそうです。
次の写真は、クロスマグレンに行く途中、ボーダーを超える直前のところにある記念碑です。中央が1981年のハンガー・ストライキで死んだIRAやINLA (IRAから分派した私兵組織) の10人を追悼するプレート。向かって左は戦闘で死んだIRAの南アーマー支部メンバーを悼むプレート。右側は2003年に殺されたIRAメンバーのプレートです。
クロスマグレンの町は真ん中にオフィアク枢機卿広場 (Cardinal Ó Fiaich Square) という大きなスクエアがあって、そこは駐車場になっています。その周りにお店が集まっています。お昼前になっていたので、その中の一軒のカフェでブランチを食べました。Kis というお店。アイリッシュ・ブレックファスト的なものを頼んだのですが、ボーダーを超えたばかりのところだとはいえ、既にアルスター風になっていました。お皿の右側にのっているパンみたいなものが2つありますが、下の四角いのがたぶんポテト・ブレッド、上のパイ型なのが Farn と呼ばれるソーダ・ブレッド。逆かもしれない。これら2つはダブリンでは見かけません。メニューにはブレックファストとは書いてなくて、「なんとか All Day」と書いてあった。調べてみたら、アルスターではこうしたものを食べるのは朝食に限らないらしい。
町の中はアーマー県の色であるオレンジと白がいっぱい。ゲーリック・ゲーム (ゲーリック・フットボールやハーリング) のアーマー県代表を応援しているわけです。縁石がオレンジと白に塗られていたり、アーマー頑張れの立て看が出ていたり、ショーウィンドウがアーマー・グッズで飾られていたりします。
一方で紛争の名残もまだまだ残っています。こちらはクロスマグレンの警察署。塀が高く、監視カメラもたくさんついていて、ものものしいです。
こちらは闘争で死亡した IRA 南アーマー支部のメンバーを追悼するパネル。下側はシン・フェインの宣伝看板です。
こちらはアイルランド統一を呼びかける看板。
こちらはスクエアに建っている記念碑。アイルランドの自由のために自らを犠牲にした英雄たちを称えるものです。これは北アイルランド紛争のさなかの1979年に建てられたもので、IRA兵士に捧げられたものです。写真右手 (像の後ろ) に見える4つの旗はアイルランドの4つのプロヴィンスの旗。左手は手前から、アイルランド市民軍 (Irish Citizen Army)、アイルランド国旗、Na fianna éireann (直訳「アイルランドの兵士たち」) の旗。イギリス国旗はないですね。台座の部分には「Glory to you all, praised and humble heroes who have willingly suffered for your selfish and passionate love of Irish Freedon」という文言が英語とアイルランド語の2言語で書かれています。
北アイルランドなので郵便ポストは赤色です。
歩いていたら子供連れの30代くらいの男性に「Welcome to Ireland」と笑顔で声を掛けられました。「Ireland」と言ったところに政治的なニュアンスが入っていたのかどうか、私にはちょっと判断つきません。