ストロークスタウン (Strokestown) は、タルスクから15分ほど車でN5を東に走ったところにあるロスコモン県の町です。人口は2016年の国勢調査で825人。アイルランドで2番目に広い道路があります (最も広いのはもちろんダブリンのオコネル・ストリート)。人口の割には商店などが多い印象です。
ストロークスタウンにはナショナル飢饉博物館 (National Famine Museum) なるものがあります。「ナショナル」とありますが、ナショナル・ワックス・ミュージアムと同様に、これは「国立」という意味ではありません。もともとは1979年に私企業によって設立されたもので、現在は Irish Heritage Trust という信託団体によって運営されています。
なぜストロークスタウンにナショナル飢饉博物館があるのかと私も最初は疑問に思ったのですが、それにはもちろん理由があります。このあたりの領主だったデニス・マホン (Dennis Mahon) が何千人もの農民をカナダのケベックに移民として送りこんだのです。また、飢饉や移民に関する詳細な資料をマホン家が保管していたことも博物館の設立に役立っています。博物館自体も1979年までマホン家が所有していた屋敷の中にあります。
というわけで、この博物館は大飢饉全般の話だけでなく、ストロークスタウンおよびその近隣における飢饉の様子やこの地から移民していった人々、そして領主マホンのストーリーに焦点を合わせた展示となっています。
受付をすませて展示室に向かうときに中庭をとおるのですが、そこには「希望 (Hope)」と「恐怖 (Horror)」、「勇気 (Courage)」と「Cruelty (残忍)」、「信仰 (Faith)」と「不安 (Fear)」、「生き残り(Survival)」と「Starvation (飢餓)」など、頭韻を踏んだ言葉を槌にした飛び石が地面に埋め込まれています。飢饉のときにはアメリカの先住民族であるチョクトー族から救援物資が送られてきたのですが、それを記念する彫刻も置かれていました。
展示は当時の社会階層やデニス・マホンがこのエステートを相続した事情などの説明から始まります。当時の社会階層には地主 (Landlord)、土地管理人 (Land Agent)、仲介人(Middleman)、小作人(Cottier)、労働者 (Labourer) がありました。小作人や労働者はひどい暮らしを強いられていたようです。そしてもちろん飢饉の原因となったじゃがいもの胴枯れ病の説明。当時のアイルランドは摂取カロリーの90%をじゃがいもが占めていたので、飢餓の被害が大きかったのですね。ほかの作物は地代の支払いのために売るしかなかったのです。
さて、ここからいよいよマホンの所有地に住む人々の移民のストーリーが始まります。飢餓で苦しむ人々をそのまま死なせることは当時の倫理観でもさすがに不可能です。餓死を防ぐためには人を減らすしかないとマホンは考えました。つまり移民です。もちろんそれは人道的な理由だけではありませんでした。救貧院 (Workhouse) を1年運営するには11000ポンドかかります。しかし、6000ポンド弱を支払えば3000人ほどをカナダに送ることができるのです。
当時としても住み慣れた土地から追い出すことには批判もありましたが、貧しい農夫はほかに選択肢もありません。マホンは地代を滞納している農夫や生産性の低い農夫を移民させようとしましたが、実際に手をあげたのは能力の高い農夫が多かったそうです。マホンは移民する人々に旅の途中の食料を持たせたのですが、マホンが引き止めたいけれどもどうしても行くという人々には食料を自分で負担させたといいます。移民先がアメリカではなくカナダだったのは、運賃が安く、開拓する土地と仕事があったからです。
移民する人々はダブリンまで歩き、そこから船に乗りました。船内の環境は劣悪で、ちょうどチフスが流行していたこともあり、何人もが旅の途中で亡くなりました。あまりにも多くの人が亡くなったので、こうした移民を乗せた船は棺桶船 (Coffin Ship) と呼ばれていました。
さて、この移民のストーリーは最後に予期せぬ展開を見せます。領主デニス・マホンが殺害されるのです。1847年11月2日、飢饉の救済措置に関する会合を終えてストロークスタウンに帰ろうとするマホンの馬車が待ち伏せ攻撃され、マホンは射殺されます。それを知ったロスコモンの庶民は松明をたいて彼の死を祝ったといいます。これは飢饉の時代に領主が殺害された最初の事件とされ、この3週間後には別の領主が殺害され、そのほかにも脅されたり、危害を加えられた領主がいました。
マイケル・マクダーモットという神父が事件前の日曜のミサで、「マホンはクロムウェルよりもひどいがまだ生きている」と言って殺人を扇動したと非難されましたが、神父はこれを否定し、マホンが死んだ唯一の理由は彼が小作人を非人道的に扱ったからであると反論しました。結局4人の犯人が特定され、1人はカナダに逃げ延び、1人が流刑となり、2人が絞首刑となりました。しかし、現在でも彼らが真犯人だったかどうかについては議論があります。
展示を見るのにかかる時間は45分から1時間ほど。わかりやすいパネルや模型の展示、当時の人の証言をドラマ風に読み上げるオーディオ、マホン殺人事件に関係した人々を役者が演じる視覚的な仕掛けなど、とてもモダンな見せ方で情報量もたっぷりでした。
入場料は博物館だけなら14.5ユーロ。ストロークスタウン・ハウス見学も込みだと18.5ユーロ。公式サイトはこちら。