モナハンはモナハン県の県都で人口は約8000人です。モナハンの町を歩くのはたぶん初めてだと思います。デリーに行くときに通ったことはあるはずなのですが、その頃は幹線道路が町の中を走っていたのか、それとももうバイパスができていたのか、記憶にありません。
モナハン・ピース・キャンパスという新しい市民センター的な建物が今年の5月にオープンしたんですね。その中に入っているモナハン・カウンティ博物館に行ってきました。この博物館はもともと町の中心部にあったんですが、キャンパスのオープンと共にこちらに移ってきたものです。
ピース・キャンパスの建物の入り口に置かれているのはアイスクリーム売りの自転車です。イタリアからモナハンに移民してきたアントニオ・マリオッコ (Antonio Magliocco)さんがアイスクリームを売るために1928年に購入した自転車です。もちろんモナハンに初めてイタリアン・アイスクリームを紹介したのがマリオッコさんということになります。アイスクリームの移動販売なんて、当時の方はワクワクしたでしょうねえ。私ですらこの自転車を見たときに気分があがりましたから。ちなみにアイルランド北部 (北アイルランド含む) にいくと割と小さな町でもアイスクリーム屋さんが店を構えてたりするんですよね。
ちょっと話がそれますが、アントニオ・マリオッコさんのことを検索していたら、同姓同名の方が1974年のダブリン・モナハン爆弾事件で亡くなっています。ダブリン・モナハン爆弾事件というのは北アイルランドのプロテスタント系の民兵組織が起こした事件で、ダブリンで3つ、モナハンで1つの爆弾が破裂し、計34人の方が亡くなりました。亡くなったマリオッコさんはイタリア生まれで当時37歳。アイルランドのどこに住んでいたのかはわからないのですが、爆弾事件に巻き込まれたのはモナハンではなくダブリンのパーネル・ストリート。お兄さんが経営するレストランをたまたま訪ねてきていたそうです。
年齢からいってモナハンでアイスクリーム屋を開業したマリオッコさんとは明らかに別人ですが、ご親戚の方、もしくは同じ村から移民してきた人なのかもしれません。ダブリンには「Macari」という名前のハンバーガー&チップスの店がたくさんありますが、あれは別にチェーン店ではなくて、イタリアの同じ村から移民してきた人が経営していて、その村でたまたま Macari という苗字の人がいっぱいいたからなのだそうです。モナハンのアイスクリーム屋さんとダブリン・モナハン爆破事件の犠牲者の名前が一致するなんて、あまりの偶然の符合にちょっと背筋がひんやりしてしまいました。ちなみに、なぜ犯行現場がモナハンとダブリンだったのかというと、ダブリンで爆破を実行した部隊が北アイルランドに戻ってくるときに、ボーダーのチェックポイントの警備が手薄になるようにモナハンでも事件を起こしたのだと言われています。
それでは博物館の中に入ります。最初に全体の印象を言っておくと、規模はそれほど大きくありませんが、展示物はテーマごとにしっかりとまとめられているし、照明などにも工夫を凝らしていて居心地のいい空間になっています。先史時代の歴史や地層・植生などは最低限におさえ、生活や文化など一般の人が楽しめるような展示内容でした。私はとても楽しめました。
こちらはモナハン県出身者またはモナハン県にゆかりのある著名人のパネル展示 (写真は一部)。その中にダニエル・マクガヴァン (Daniel McGovern) という写真家の名があります。この人は日本との関係が深い人です。モナハン・タウンに生まれてキャリックマクロスで育った彼は、11歳のときに家族と共にアメリカに移住します。記録写真の専門家として軍に入隊し、フランクリン・ルーズベルト大統領のお付きの写真家となるまでに出世します。そして、広島と長崎に原爆が投下された後、最初に現地に入って惨状を記録したアメリカ人となります。彼は撮影したフィルムを政府に提出したわけですが、それが闇に葬られることを恐れて密かにフィルムのコピーを取っておきました。1967年になって、オリジナルのフィルムがなんらかの理由でみつからなかったため、このコピーが米議会の委員会に提出されました。
こちらは4人の著名人が特に大きなパネルで展示されています。短いインタビューも AV 装置で見ることができます。ボクサーのバリー・マクギガン (Barry McGuigan)、『ファーザー・テッド』でドゥーガル神父を演じたアーダル・オハンロン (Ardal O'Hanlon)、映画『ベルファスト』で主演した女優のカトリーナ・バルフ (Caitríona Balfe)、ラグビー・アイルランド代表のトミー・ボウ (Tommy Bowe) です。
モナハンは北アイルランドと接している県ですから、昔は税関とか検問とかがありました。下の写真は税関に関する展示。右側の制服は税関職員が当時着用していたものです。
下の写真はフェーン川 (River Fane) にかかる橋。橋の真ん中で道路の色が変わり、センターラインや路肩を示すラインのパターンが変わっているのがわかります。そこがボーダーです。郵便ポストの色が異なるのも象徴的です。昔は北アイルランドの方が物が安く買えたので、赤ちゃんを乗せた乳母車の底に日用品を隠して税関を突破したりもしていたそうです。そういう民衆の逞しさみたいなストーリーは私の大好物です。
1921年の英愛条約によって北アイルランドとのボーダーができたわけですが、その時代の政治や武装勢力に関する展示も充実しています。特に警察、軍隊、民兵組織などの制服が展示されているのが興味深かったです。
こちらが特に狂暴で悪名高かったブラック・アンド・タンズの制服です。ブラック・アンド・タンズはアイルランド独立戦争時にイギリス本土でリクルートされて王立アイルランド警察隊に加わった警察官のこと。その数は約10000人で、主に第一次大戦に従軍した無職の人だったそうです。制服が間に合わなかったので、初期にはありあわせの服が支給され、上と下で色が揃っていないことも多かったようです。この展示では上がタン (小麦色)、下がブラックですが、逆の場合もありました。
こちらはモナハンに墜落した英軍のスピットファイア戦闘機に関する展示です。1942年9月20日、北アイルランドの空軍基地から飛び立ったスピットファイア戦闘機がモナハン上空で操縦不能になり、ボーダーに近いモナハン県エミヴェールの野原に墜落しました。パイロットも脱出しており、この事故による死傷者はありませんでした。この機体はそうとう古いもので、戦闘からは退役しており、このときの飛行も気候観察のためでした。パイロットの方はボーダーの北側に着地しています。2017年に博物館、大学、英空軍の慈善団体、地元の中高生などが協力して現地で発掘作業がおこなわれ、そこで発見されたアイテムなどが展示されています。
モナハン・カウンティ博物館の展示物の一部をご紹介しましたが、この博物館は特にアイルランドの歴史に興味をお持ちの方には非常に楽しめる展示内容になっているのではないかと思います。おすすめします。