昔むかし、ウェールズにエドワード・ブレイニー卿 (Sir Edward Blayney) という人がいました。ブレイニー卿は、9年戦争 (1594 -1603) の後にアルスターを支配下においたエリザベス1世から、マクノー湖 (Lough Muckno) のほとりの土地を拝受し、ブレイニー男爵を名乗るようになります。ブレイニー男爵はこの土地にブレイニー・キャッスルを建て、その周りにできた町はキャッスルブレイニーと呼ばれるようになりました。
現在残っている建物は1780年代に建て替えられたものです。ブレイニー家は1853年にスコットランド/オランダ系銀行家のホープ家に土地と建物を譲り渡します。それ以降、現在にいたるまで、この建物はホープ・キャッスルとして知られることになります。ちなみにホープ家は呪いの宝石として有名なホープ・ダイアモンドの持ち主でもありました。
20世紀初めにホープ家が去った後、ホープ・キャッスルは病院、修道院、ホテルなどとして使用されました。ところが2010年に放火の被害に遭い、現在は復元工事が進んでいるものの完全な状態に戻るのはまだ先のようです。放火の犯人はつかまっていません。次の写真はホープ・キャッスルの現在の状況です。

ホープ・キャッスルの前にはマクノー湖が広がっています。このあたりは一般市民に開放されていて散歩コースになっています。

キャッスルブレイニーの人口は3600人ほど。メイン・ストリートの両側に商店が連なり、街には活気があります。
私が驚いたのは、町全体が一丸となってビッグ・トムという人を「推し」ていることでした。店のウィンドウに彼のグッズが並べられ、喫茶店の壁には彼の写真が掲げられ、お土産用の冷蔵庫マグネットがたくさん用意され、銅像まで建てられています。まさにレジェンドというべき扱いです。
恥ずかしながらビッグ・トムという人の名前を私は初めて聞いたのですが、本名をトム・マクブライドさんといい、ビッグ・トム&ザ・メインライナーズというショーバンドで一世を風靡した人でした。彼は1936年にキャッスルブレイニーの近くのオラム (Oram) という村で生まれました。60年代からプロとして歌い始め、亡くなる2018年まで活動を続けました。1970年代前半にアイルランドのヒットチャートで3曲がナンバー1に輝いています。主にカントリー・ソングが得意だったみたいです。




キャッスルブレイニーの町はこんな感じ。メイン・ストリートの道幅が広く、現在は両側が駐車スペースになっている町です。

町のおもちゃ屋さんが元気に営業していてよかったです。

こちらの壁画は、ジョン・ジョゼフ・クラーク (John Joseph Clarke, 1879 - 1961) というアマチュア写真家が 1902 年頃にキャッスルブレイニーで撮影した写真を絵にしたものです。

ジョン・ジョゼフ・クラークは本業はお医者さんなのですが、アイルランドのストリート・フォトグラファーのパイオニアともいえる人です。彼は1900年前後にダブリンで医学を学んでおり、余暇にはダブリンの町の様子をカメラに収めていました。彼の死後、親族の方が写真をアイルランド国立ライブラリに寄贈し、200枚ほどがデジタル化されています。その一部はこちらで見ることができます。
ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の舞台は1904年6月16日です。主人公のレオポルド・ブルームが歩き回ったエドワード王時代のダブリンの町を、クラークさんが視覚的な記録として残してくれていたわけです。
そしてクラークさんの実家はここキャッスルブレイニーにありました。帰省したときに実家の近くを歩く子供達の姿を撮影した写真をもとに壁画が作成されたのです。

次の壁画に描かれているのは、キャッスルブレイニー出身のゲーリック・フットボール選手、ユージーン・ヒューズ (1957/58 - ) さんです。

最後は壁埋め込み式ポストで締めくくります。「V R」ですからヴィクトリアの時代 (在位 1837 - 1901) のものですね。
