タラモア (Tullamore) はオファリー県の県都です。人口は約15000人。タラモアは何で有名かというと、これはもう圧倒的にウイスキーのタラモア・デュー (Tullamore Dew) ですね。タラモア・デューはジェムソンに続いて世界で2番目に売れているアイリッシュ・ウイスキーです。
タラモア・デューを生んだ旧タラモア蒸留所は1829年の設立。1860年代に15歳で馬小屋の世話係として雇われたダニエル・E・ウイリアムズが10年後には蒸留所の支配人となり、1903年には創業家と共に共同経営者となるまでに出世します。ダニエルは1921年にこの世を去りますが、1931年には創業家から残りの株式を買い取り、蒸留所はウイリアムズ家の持ち物となりました。
タラモア・デューの「デュー」(Dew) の部分はダニエル・E・ウイリアムズの頭文字から取ったものだというのは有名な話ですが、この名前のウイスキーを最初に販売したのがいつかについては明らかではないそうです。1890年代だとする新聞記事も見つけたのですが、ある業界紙の記事では、タラモア・デューのブランド・アンバサダーが質問に答えて、「確実に言えることは、アイルランド初のブレンド・ウイスキーである、私たちが今日知る形でのタラモア・デューが生まれたのは、アメリカに初めて出荷された1954年であるということだ」と言っています。タラモア蒸留所でブレンド・ウイスキーに使うグレーン・ウイスキーを作り始めたのはその6年前からだそうです。
旧タラモア蒸留所は1956年に操業を停止します。その頃、アイリッシュ・ウイスキーは冬の時代に突入しており、蒸留所の閉鎖や統合が進んでいました。ダニエル・E・ウイリアムズの孫娘であるテレサがダブリンのパワーズ蒸留所の社長と結婚しており、タラモア・デューもそちらで作ることにしたのです。その後、パワーズ蒸留所もジェムソンなどと統合されたため、タラモア・デューもコークのミドルトンで製造されることになりました。
タラモア・デューの有名な宣伝文句は「Give every man his Dew」。Dew と同じ発音の言葉に Due という単語があって、これは「当然支払われるべきもの」ぐらいの意味があります。つまり「すべての人にタラモア・デューを与えよ」と「すべての人を正当に評価せよ」のダブル・ミーニングになっているんですね。
旧タラモア蒸留所は操業を停止したあともビジター・センターとして営業していて、私も10年以上前に2回ほど訪れたことがあります。タラモアの町でのウイスキー造りは2014年に新しいタラモア蒸留所が郊外にできるまで途絶えるわけですが、今回はそちらの見学ツアーに参加してきたので、この話はまた明日書こうと思います。
11月ということで町にはクリスマス気分が漂ってきました。タラモアな街の中心にも巨大な郵便ポストが建っていました。サンタさんへの手紙を入れることができます。