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アイリッシュ・タイムズ社説: ジョイスの『ユリシーズ』の発禁処分から検閲について学ぶ

 

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ユリシーズの発禁処分と最近の大手 SMS での検閲について、アイリッシュ・タイムズに社説が出ていました。おもしろかったので、雑に要約しながら訳してみます。

 

www.irishtimes.com

 

 

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』はアメリカの『ザ・リトル・レビュー』という雑誌に連載されていた。「ナウカシア」の章で、主人公のレオポルド・ブルームがサンディマウントの浜辺でガーティ・マクダウェルの足を観ながらマスターベーションをする描写があるのだが、これがニューヨーク悪書追放協会の目にとまる同協会はこの部分が猥雑だとしてニューヨークの裁判所に訴え、雑誌の発行人は50ドルの罰金刑を受けることになった。その判決が出たのが 100年前のちょうど今頃。

 

それから10年以上にわたって、アメリカで『ユリシーズ』を合法的に出版するガッツのある出版社は出てこなかった。1932年になって、ランダムハウス社が『ユリシーズ』の本の輸入を試みる。これは、税関に差し押さえてもらって、裁判で争うことを目的にするものだった。

 

この裁判はランダムハウス社の勝利に終わる。ジョン・マンロー・ウールジー裁判官は、何か月もかけてこの小説を読み込み、『ユリシーズ』は猥雑にはあたらないという判断を下した。ランダムハウス社は輸入を許可されたわけだが、それは事実上、出版も合法だということも意味した。

 

100年が経って、最初の判決で『ユリシーズ』を発禁にしたお堅い判事を笑うことは簡単だ。しかし、その判事の判決が覆されたことから教訓を学ぶことはそれほど簡単ではない。その教訓は、ウールジー裁判官が述べたように、「思えは市場で試されるチャンスを与えられるべきである」ということのように見えるかもしれない。しかし、このソーシャル・メディアの時代において、「無制限の表現の自由」という概念には新しい制約がかかっている。それは、ドナルド・トランプを検閲しようとしたSNSプラットフォームによる遅ればせながらのぎこちない試みを見ればわかる。

 

ウールジー裁判官の判決は、表現の自由の原則に関するものというよりも、その自由とそれに課されるべき制約のバランスの変化に関するものだった。「『ユリシーズ』は読者に吐き気を催させるような箇所があるかもしれないが、催淫的な傾向のあるものではない」。

 

今から100年後に生きる人々は、オンラインでの言論を検閲しようとする私たちの不器用な試みを笑っているだろう。私たちは、自由と制約の適切なバランスを見つけるまでに、10年もかからないことを望むばかりである。

 

 

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ユリシーズを書いた頃のジョイス



 

 

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