たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

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ジャック・チャールトン (1935 - 2020)

イングランドが 1966 年にサッカーW杯優勝を果たしたときのメンバーで、監督としてアイルランドを初のヨーロッパ選手権/W杯に導いたジャック・チャールトンが亡くなりました。85 歳。昨年、悪性リンパ腫の診断を受けていたそうです。

 

チャールトンがアイルランド代表の監督を務めたのは 1986 年から 1996 年までの 10 年間。それまで大きな大会の予選を勝ち抜いたことのなかったアイルランドを、ヨーロッパ選手権とW杯 (2 回) の本大会に導きました。

 

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私がアイルランドに来た 1993 年は、USA 94 予選の真っただ中。予選最終戦で、北アイルランド相手にマクラクランが同点ゴールを決め、得点差でデンマークを上回って本選出場を決めた試合はよく覚えています。このゴールは、日本で言えばちょうどジョホールバルの岡野選手のゴールのような感じで、アイルランドでは事あるごとに話題になります。

 

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アメリカ大会は W 杯 2 回目の出場だったんですが、大会中はもうお祭り騒ぎでした。銀行に行くと行員さんがみんな代表のレプリカ・ユニフォームを着て仕事していたんですよね。銀行はお堅い印象だったので驚きました。マスメディアもサッカー一色だし、W杯にあやかった商品なんかもいっぱい見かけました。

 

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ジャック・チャールトンは選手時代の自分のことをこんな風に振り返っています。「私はサッカーはうまくなかった。しかし、他の人がサッカーをできないようにするのはうまかった」。

 

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チャールトンがアイルランド代表で採用した戦術は、選手時代の彼のプレイ・スタイルに似たものでした。相手がボールを回してサッカーしようとするのを潰す。攻撃は、背の高いフォワードめがけての長いボールを放り込む。

 

当時、アイルランドにはリアム・ブレーディというユベントスなどでも活躍した凄くうまいテクニシャンの選手がいたのですが、チャールトンの戦術と合わないために代表では干されています。

 

アイルランドには、ジョン・ジャイルズとエイモン・ダンフィーという名物解説者がいたのですが (2 人とも最近引退)、彼らは、アイルランドの選手の質を考えれば、ロングボール一本鎗みたいな原始人の戦法ではなく、もっと洗練された戦術が採れるはずだとして、チャールトンを強烈に批判。この辺のやりとりも、サッカーへの注目度を高めるひとつの要因となりました。

 

チャールトンが監督になり、代表チームが強くなるまで、サッカーというのは庶民の間では人気は高かったものの、学校や教会などのエスタブリッシュメントには認められてなかったそうなんですね。アイルランド人がやるべき本当のスポーツは、ゲーリック・スポーツ (ゲーリック・フットボールなど) なんだと。その風潮を変えたのが、チャールトン時代の代表チームの活躍だったようです。

 

最後は、チャールトン監督の下で中盤の要として活躍したポール・マグラ選手のツイートで締めたいと思います。マグラは、アルコールとか精神的な問題を抱えていて、W 杯予選の招集日に失踪したりとかいろいろあったんですが、彼の能力を高く評価したチャールトンが辛抱しながら育てた選手。また、そうした欠点があったからこそファンに凄く愛された選手でもありました。

 

 

 「ほんとうに悲しい。10年間、私にとって父親のような存在だった。私を信じてくれてありがとう。ゆっくりお休みください。愛しています」

 

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