ネルソン・マンデラさんが亡くなられました。
アイルランドの新聞の一面です。全面に写真を使うのはほとんど見たことないことです。
マンデラさんが初めてダブリンに来たのは 1990 年のことです。牢獄を出てから間もない頃ですね。ダブリン名誉市民の称号を受けにきたのです。またサッカーの話になって恐縮ですが、1990 年のイタリアW杯はアイルランドは初出場でベスト8に進出して大いにもりあがりました。それで選手が帰国してきてパレードする日がマンデラさんの授与式と重なったのです。
このときのアイルランドチームには、ポール・マグラっていうディフェンスの大黒柱がいて、この選手が黒人だったのです。マグラ用のチャントは「ウッ、アッ、ポール・マグラ」っていうのだったんですが、ダブリン市長官邸前にマンデラさんのスピーチを聞きにきていた人たちが、マンデラさんが登壇したとたん、このチャントを少しもじって「Woo, Ah, Paul McGrath's Da」と大合唱したのだそうです。「Da」というのはお父さんの意味です。同じ黒人だからね。
ここまでの話はアイルランドのある年代以上の人なら誰でも知ってる話なんですが、アイルランド前大統領のメアリ・マカリースによると、あの場所でマグラのチャントを始めたのは彼女の小さな娘さんだったらしい。3 人の娘さんたちはサッカー代表のパレードの方に行きたかったのだが、お母さんに言われてマンデラさんの式典の方に行った。マンデラさんの顔を見たとたんに 5 歳の末娘が「ウー、アー、」とやりだすと、それがすぐに周りに波及し、即興で Da が付け加えられて大合唱になったのだそうです。
アイルランドつながりの別の話は、80 年代にダンズストア (というスーパーマーケットのチェーン) のメアリー・ハニングさんというレジ係が南アフリカ産の果物のレジ打ちを拒否したことから始まって、政府が南アフリカからの輸入を禁止するまで、10 人ぐらいが 3 年近くストライキをしたらしい。私はこの話は初めて聞いたけど、ヨハネスブルグにはメアリーさんの名前の付いたストリートがあるそうだ。ストに参加した人たちも 90 年にマンデラさんが来たときに記念式典に呼ばれていて、そのときの映像が繰り返し流れていた。
メディアではマンデラさんの逸話が限りなく紹介されてますが、政治の話はいろんなところでされてるのでおいといて、彼の人柄を表わすこの逸話が私は好きです。
なんかの記者会見で難しい質問がいくつも続いたので、マンデラさんが疲れてるんじゃないかということで記者が気を利かせて「スパイスガールズで一番好きなのは誰ですか?」と柔らかい質問をした。そしたら、マンデラさんはとたんに目を輝かせ、スパイスガールズの一人ひとりの魅力について 5 分ほど熱く語った後、ジンジャーが一番のお気に入りであることを明かしたそうです。私もマンデラさんと同じ意見です。