たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

リービング・サートとウィキペディア

リービング・サーティフィケート (Leaving Certificate) っていうのは、日本のセンター試験に似たものです。大学に行きたい高校生は全員受験します。マークシートではないけど (ないよね?)。イギリスだと、O Level っていうやつかな。結果は 8 月ぐらいに発表されるのかな。

 

2 週間ほど前だったが、全 7 科目で A (最高のグレード) を取った受験生が、自分のノートを eBay のオークションに出して、2800 ユーロほど稼いだっていう話題が記事になってた。

 

この進取の気性にあふれる少年は、クレア県にすむキリアン・ファヒー君で、稼いだお金は学費の足しにするそうです。「経済がこんな状況だから、夏のバイト見つけるのも難しかったですし」とのこと。

 

コピーして売った方がいいんじゃないかとアドバイスしてくれた人もいたそうだが、同じノートをもとにして同じような回答を書いたんじゃ良い点はもらえないかもしれないから、オリジナルを競りに掛けることにしたそうです。

 

彼はまた、「これまで、このアイデアを思いついた人がいないことに驚いています」とか「ノートを売ることは、良いノートを取り、オリジナルな考えを育むための、経済的なインセンティブにもなるのではないか」とも言っています。

 

記事が載った当日に、彼はさっそくラジオのレイ・ダーシー・ショーに電話出演してました。18 歳なのにむちゃくちゃしっかりしてました。立て板に水のようにしゃべります。取締役会議で上席から 3 つ目ぐらいに座っていてもおかしくないですね。

 

とか思っていたら、昨日の新聞に彼の写真がまた大きく載ってました。なにかと思ったらアイリッシュ・タイムズ紙に数カ月間にわたって連載を持つらしいです。彼がどのように勉強してオール A を取ったかという体験を読者と共有してくれるらしいです。

 

「私の秘密兵器」(My Secret Weapon) というとこだけ訳します。
「私がもし本当に利口であれば、長編のベストセラーを書いて、秘密兵器についてはその最後に触れるでしょうが、私は今ここで皆さんにそれをお伝えすることにします。リービング・サートにおける私の秘密兵器は、ストレス防御器、無気力撃退器、正気維持器であり、それが私にオール A をもたらしてくれました。すなわち、私の秘密兵器は習慣 (ルーティーン)です。初日から習慣に従えば、すべてが正しい場所に収まります。もちろん、時間割の中でやりくりする余地はあるでしょう。しかし、全体的な習慣、毎日、そして毎週、自分が決めた時間を守ること、それが鍵です。習慣を守り、ストレスにつかまらないこと。そうすれば、主導権を握っているのはいつもあなたです」。

 

ファヒー君は、トリニティ大学で英語と数学を学んでいます。

 

それから、これはもう 1 年以上前になると思うんだけど、UCD (ダブリン大学) で社会学を専攻しているシェイン・フィッツジェラルド君が Wikipedia に嘘情報を書き込んで、それが世界のメディアでどのように伝えられるのかという実験・研究を行いました。いや、それは単なる悪戯だろうとおっしゃる方もいるかもしれませんけど、本人が研究だと言ってるんで、ここは研究ということで通させていただきます。

 

フィッツジェラルド君はかねてから、時間に追われたジャーナリストがインターネットに頼りすぎているんじゃないかという懸念を抱いていました。そこで、誰でも編集できる Wikipedia に虚偽の情報を書き込んで、大手のメディアがそれをどのように扱うのかということを実験しようと考え、そのときが来るのを虎視眈々と狙っていました。

 

彼が作戦を実行に移したのは、フランス人作曲家のモーリス・ジャールさん (Maurice Jarre、映画「ドクトルジバゴ」でアカデミー賞受賞) が亡くなったというニュースを聞いたときです。彼が Wikipedia に書き込んだ内容は、ソースがないということで何度か削除されたんですが、最終的には彼の嘘はジャールさんのページに残り、英国のガーディアン紙やインディペンデント紙を初め、遠くインド、アメリカ、オーストラリアでもジャールさんの死亡記事に引用されてしまいました。

 

フィッツジェラルド君がジャールさんの発言として Wikipedia に書き込んだのは以下のとおり。「私の人生はひとつの長いサウンドトラックだったと言う人もいるだろう。音楽は私の人生であり、音楽が私に人生を与えた。私がこの世を去った後、音楽によって私は人の記憶に長く留まるだろう。私が死ぬとき、最後のワルツが私の頭の中に流れ、それは私にしか聞こえないはずだ」。いかにも死亡記事を書くジャーナリストが引用しそうな言葉です。

 

その後、フィッツジェラルド君は RTE (アイルランドの NHK みたいな放送局) ラジオでインタビューを受けたり、アイリッシュ・タイムズ紙に文章を載せてもらったりしていました。嵌められたガーディアン紙は、この事件に関する考察を記事にしたりもしました。

 

フィッツジェラルド君によれば、死者を冒涜しないように、非常に一般的な言葉しか追加しないように気を配ったとのこと。また、今回の調査の結論は、今のメディアの状況では、ダブリンの 22 歳の学生が世界のメディアに影響を与える可能性があること、そして、世界のジャーナリストは時間に追われ、大きなプレッシャーの中で仕事をしていること。以上の 2 点だそうです。

 

ことの顛末

arstechnica.com

嵌められたガーディアン紙の考察

www.guardian.co.uk

 

RTE (アイルランドの公共放送) ラジオでのフィッツジェラルド君のインタビュー:

http://www.rte.ie/news/news1pm/player.html?20090506,2538166,2538166,real,209

 

今回の研究に関するフィッツジェラルド君自身の文章 (アイリッシュ・タイムズ紙)

www.irishtimes.com

上の 2 つの出来事は、若い人が常識にとらわれずに大胆に行動して大人たちをあっと言わせたってことですが、フィッツジェラルド君の方は、善意でなりたっている公共のスペースに嘘を書き込んだっていうことでモラルの問題は確かにあるし、ファヒー君の方も勉強の過程で得たものを経済的な報酬に変えたっていうことで、勉学はもっと純粋なものであるべきだと思っている人はちょっと言いたいことがあるかもしれない。

 

だけど、少なくともそういうネガティブな面には焦点を当てないで、発言の場を用意して、意図を説明する場を与えている。そういう風に出てこられると、フィッツジェラルド君もファヒー君も「あっと言わせてやったぜ、あひゃひゃひゃひゃーw」と言うわけにもいかず (そんなこと言うつもりはなかったかもしれないけど)、彼らの行動の背景には正当な理由が少なくとも一部にはあったことを説明してる。

 

前も書いたような気がしますけど、若い人を社会に包摂していく作業ってこういうこと (平等な立場で発言、議論できる場をつくること) じゃないかと思います。自分に理解できないものが出てきたらとりあえず攻撃しとこうっていう人が多いところだと (そして、それが許されるところだと)、世の中がばらばらになって立ち行かなくなるんじゃないでしょうか。