たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

Hiroshima 8/6

私は戦争が終わってから 17 年後に生まれたんですけど、戦争のことを身近に感じたことはあまりありません。遠い昔のことだと考えていました。でも、この年になってみると、17 年とかあっという間です。というのも、私がアイルランドに来たのが 17 年前なんですね。語学学校とか行きながらへらへらしてた頃から今までの時間と、戦争が終わってから私が生まれるまでの時間がほぼ同じというのが、ちょっと実感としては湧きません。

 

先週の金曜は 8 月 6 日で原爆記念日だったわけですが、私は特に何の感慨もなく普通に仕事して晩御飯食べて、いつものようにジムに行きました。ジムでは、スレッドミルっていうんですか、ベルトコンベアみたいなの上で走るのをやります。私は走るんじゃなくて、傾斜をつけて歩くんですけど。

 

それで、各マシンには小さいモニターが付いていてテレビを見ることができます。スイッチを入れるとまず RTE(アイルランド公共放送)1 が映ります。私はだいたい Sky News か Sky Sports を見るのでチャンネルを変えていくと、RTE 2 で、第二次世界大戦のドキュメンタリーをやっていました。なんで分かったかといいますと、広島に原爆を落としたエノラゲイの関係者がインタビューに答えていたからです。

 

私は「あー、またこの時期だから戦争物をやってるんだな」と思いました。RTE でも結構戦争ドキュメンタリーをやったりするんですが、自社制作のものではなくて、だいたいアメリカとかイギリスで作ったものを流すので、もちろん連合国視点のものとなります。あー、そういう視点もあるんだなーと思いながら、私は見たり見なかったりします。

 

だけど、今回のものはちょっと趣が異なりました。エノラゲイの人以外は、インタビューを受ける人はほぼ日本人ばかり。それから、再現フィルムでも、原爆直後に水を求めて川に集まってくる様子とか、仮設の医療施設でお医者さんが大勢の被爆者を治療している様子とかが流れていました。私は、イヤホンを持ってってなかったので、正確にはわからないですけど、まあだいたいのところは伝わってきます。戦争の一方の当事者ということではなくて、原爆の被害者に焦点をあてた番組だったのだと思います。

 

家に帰って新聞のテレビ欄を見てみると、「Hiroshima」という番組でした。どこの制作かはわかりません。解説を読むと、冒頭の文は「The military, scientific and political gamble to drop the atomic bomb was the defining moment of the 20th century.」でした。原爆を正当化するわけでも批難するわけでもないニュートラルな文です。

 

次の日の Irish Times 紙には、広島で行われた記念式典の様子がレポートされていました。

 

 

初めて在日アメリカ大使が出席したこと。秋葉市長の「Obamajority」。潘国連総長の「グラウンド・ゼロからグローバル・ゼロへ」。それから菅首相の「核の傘は日本に必要」などが紹介されていました。でも、一番説得力があるのは、実際に被爆したタカヤマ・ヒトシさん(80歳)の話です。

 

「私たちは65年にわたって、こうした武器を使わないように人々に言い続けてきた。しかし、こうした人々は今までやって来なかった。もし、関心があるのなら、ここに来て自分の目で事実を見ただろうに」。原爆の落ちた瞬間についてはこんなふうに話しています。B29が一機だけやってきたわけですが、「私たちは笑ってすらいました。その頃には(多くの爆撃を受けた後だったので)、一機の飛行機など意味のないものに思えたからです。突然、閃光が走って、すべてが強い光と熱に包まれ、それから真っ暗になりました。」

 

日本だと、いろいろなメディアを通して被爆者の体験を聞く機会はよくありますけど、外国の人にとっては被爆体験者の話を直接耳にすることってほとんどないんじゃないでしょうか。

 

それから、この記事の隣には、ダブリンで開かれた記念式典の話も載ってました。アイルランドの CND が企画したもので、日本大使も出席。集まった人は 50 人くらい。場所は、メリオン・スクエアに記念植樹された桜の木のところ。そんなのがあったんだ。今度、観に行こう。たまにグラフトン・ストリートなんかでも見かける、ハープ奏者の日本人男性の写真が載っていました。

 

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Photo by Dean S. Pemberton