たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

イングランド人を妬むのは私たちの生得の権利であった。

先日ご紹介したアイリッシュ・タイムズ紙のワールドカップ特集の続きです。グループごとの展望のほかにも、いろんな記事が載っています。注目の国についての特集記事 (北朝鮮、アルゼンチン、ニュージーランド、フランス)、1970 年のブラジル・チームについて。それから、アルジェリアの独立にサッカーが果たした役割についてなど。

 

巻頭では、トム・ハンフリーズ (Tom Humphries) 記者が「イングランド人を妬むのは私たちの生得の権利であった」という記事を書いています。ハンフリーズ記者は、アイリッシュ・タイムズ紙のエースのスポーツ・ジャーナリストです。

 

2002 年の日韓 W 杯で、ロイ・キーン選手がサイパンの合宿地でミック・マッカーシー監督と喧嘩して帰国してしまった話は、アイルランド・サッカーのファンならば誰でも知っていると思いますが、そのきっかけを作ったのがハンフリーズによるキーンへのインタビュー記事でした。

 

通常であれば、地の文の中に選手の発言を入れながら記事を構成していくわけですが、キーンがチームへの不満をあまりに率直に語ったため、ハンフリーズは通常の記事構成では正確な意図が伝わらないと考え、インタビュー全文を掲載してくれるようにデスクと交渉しました。その結果、インタビューが一字一句漏らさず翌日の新聞に見開きで掲載されたわけです。

 

マッカーシー監督がそれを読み、チームミーティングで問題にしたところ、キーンは罵詈雑言をマッカーシーに浴びせ、チームを去りました。これがいわゆる「サイパン事件 (Saipan Incident)」です。もちろん、キーンの言葉を歪曲して伝えたわけではありませんから、キーンとハンフリーズの間にわだかまりはありません。

 

さて、今回の「イングランド人を妬むのは私たちの生得の権利であった」という記事。「あった」と過去形で書かれていますから、「もうそろそろ過去にとらわれるのはやめて、隣国とともに未来に向かって歩いていこうではないか」という趣旨の記事かと思いましたが、そんなこたぁ、ありません。

 

副題が「ティエリ・アンリのハンドボールに過剰反応したせいで、私たちはその権利を失ってしまった」というものだからです。

 

あの、念のために書いときますけど、この記事、マジじゃないですから。自虐的 (self-depreciating) ユーモアに満ちた文章です。

 

ハンフリーズさんは、「私たちがイングランドが負けるように応援するのは、私たちの生得の権利であり、憎しみとか歴史とか地理的な混同とかとはほとんど関係ない。それは妬みと呼ばれるもので、妬むのは単に楽しいのだ! それは、私たちの存在の一部なのだ。私たちはアイルランド人。そして、それが私たちのやること。」と言い切ります。

 

しかし、その権利は、アンリ選手のハンドボールによる敗戦を受けて、FAI (アイルランド・サッカー協会) が 33 番目の国として W 杯に参加できないか FIFA に打診したときに失われたそうです。ハンフリーズさんは、そんな馬鹿げたことを FIFA に打診したのが恥ずかしくてしかたないみたいです。

 

24 年たった今でも、私たちはマラドーナの神の手ゴールについて楽しく語ることができる、とハンフリーズさんは書きます。それはパーフェクトなタイミングでやってきたと。アイルランドが出場する 4 年前だったし、準々決勝だったし、サッチャーの時代だったし、フォークランド諸島の戦争からそれほど経ってなかったし。

 

「だけど、イングランド人は神の手ゴールにうまく折り合いをつけた。アンリのハンドボールに対する私たちよりもずっとうまく。私たちはそれにけりをつけるべきだった。公平にみて、イングランド人はいつもそれができる。24 時間経てば、彼らは彼ら自身の失敗についてすでにジョークを作ってる。ところが、私たちは、国民として集団的に惨めで痛ましい自己憐憫の遠吠えを上げた。ムンクの「叫び」すら愉快なグリーティング・カードに見えるほどに」

 

「私たちは世界最大の泣き虫 (cry baby) である。ガラガラを乳母車から遠く離れたところに放り投げてしまったので、イングランド人の成功を妬んだり、彼らの失敗を楽しんだりする権利を放棄してしまった。私たちにはもっとふさわしい状況があるはずなのに」

 

正直、今回の記事は、内容があんまりないのを補うために、必要じゃない枝葉を付けくわえちゃったせいだと思うんだけど、何が言いたいのか私にはわかりにくかったです。3 回ぐらい読み直さんとわかりませんでした。

 

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