たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

タラの丘

もう 2 週間前になるのですが、友だちとタラの丘にドライブに行ってきました。車を買ってから、ダブリンの外に出るのは初めてです。幸いなことに天気がものすごく良くて、気温が20度代半ばにまであがりました。

 

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タラの丘に行くのは 4 度目ぐらいだと思います。行くたびに思いますが、タラの丘には何もありません。丘があるだけです。いやまあ、土産物屋さんとかが何軒かありますし、小さな遺跡とか石碑とかありますけど、基本、緑が広がっていて、羊がその辺で草を食んでいるという形になります。

 

しかも、丘の上まで車で上がってきているので、ここからタラの丘でーす、と言われて中にはいっても、ちょっとアンデュレーションのある草原なんですね。たしかに、航空写真で見ると、人工的に土を盛って作った 2 つのサークルが見えるんですけれども。

 

タラの丘は、「アイルランド人の心の故郷」とか、紋切り型のフレーズでは収まらないくらい、いろんなことが起こった場所です。いろんなことが起こったのは確かなんだけど、実際に何が起こったかははっきりしないことが多いらしい。

 

2 つの盛り土のサークルの外側に、もっと大きな直径 300m くらいの要塞跡があるらしいんだけど、それは肉眼ではわからなかった。要塞跡は鉄器時代 (2000 年くらい前?) のものらしい。

 

盛り土のサークルの側には小さな古墳がある。中に通路があって、英語だと Passage Tomb、日本語だと羨道墳 (せんどうふん) というらしい。この通路には、毎年11月8日と2月4日に日光が差し込むよう設計されており、これはケルトの祭日と一致するそうだ。この古墳は紀元前 3,400 年くらいのもの。

 

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それから立石 (Standing Stone)。この石のそばに、アイルランド人の男の人がいて、1796 年にイギリスに対して反乱を起こした人たちが 400 人ほど殺害されて、その記念碑がこれなのだ、と説明してくれたのだが、帰って調べてみたら、上王がこの石のそばで即位の儀式を行ったらしい。抱きついて、子宝に恵まれますようになどと言っている場合ではなかった。たぶん、記念碑のほうは、写真の奥に見えている石板の方なのだろう。

 

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そばにキリスト教会があって、そっちの方に歩いて行ったら、テレビ・クルーがいた。アメリカン・アクセントのディレクター (女性)、カメラマン、それからアイルランド人の神父さん。ちょっとインタビューに答えてくれないかと頼まれる。聞いたら、アメリカのキリスト教チャンネルらしい。インタビュアーの意図としては、明らかに文化の違う人たちまでもが聖人パトリックにあこがれて、タラの丘までやってきた、みたいなことをしゃべってほしいらしい。

 

あれ、ちょっと待って。いま、なんか腑に落ちないこと言ったぞ。

 

なにが腑に落ちないんだろーなー、などと考えてるうちに、K ちゃんが代表してしゃべることになり、私を含めて同行の 3 人が後ろに立つことになる。

 

確かに教会のそばに聖パトリックの像があって、なんで聖パトリックの像があるんだろうねー、などと話をしていたのだった。っていうか、聖パトリックってタラの丘と関係なくないすか。どっちかっていうと、キリスト教以前の土着の信仰に関連付けられて語られるべきと私なんかは思ってしまうのだが。なんだか、タラの丘がキリスト教にハイジャックされたような気分だ。

 

なんてことを考えながら、後ろで辛気臭い顔をして立っていたので、たぶんあの映像は番組では使われないと思う。K ちゃん、ごめんなさい。

 

アメリカ人のディレクターさんは、思い通りのコメントを取ろうとして、あの手この手のチャームを使ってきたが、そのコメントは無理筋だろう。インタビューの相手に作り手のじゃべらせたいことをしゃべらそうとするのは、どこでも一緒なんだなーと苦笑。

 

その後、丘を下りて、ご飯を食べようということになり、ナヴァンの街に向かう。ナヴァンは下から読んでも上から読んでも NAVAN なのだが、そんなことを話していると、同行の A ちゃんが回文作りが趣味であることが判明。長い付き合いだが、そんな趣味があるとは知りませんでした。

 

NAVAN と AKASAKA は姉妹都市になるべきだなどと勝手なことをいいながら、ナヴァンのホテルのレストランで遅いランチ食べて帰った。

 

カメラを忘れたので、写真は全部 K ちゃんからもらいました。