たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

歌丸です。

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言文一致運動は二葉亭四迷あたりが始めたものだと学校で習ったのですが、高橋源一郎さんの「大人にはわからない日本文学史」(岩波書店)を読んでいたら、四迷さんは三遊亭円朝という噺家の創作落語に影響を受けたのだと書いてあった。坪内逍遥が四迷さんに「円朝みたいに小説書いてみたら」とアドバイスしたのだそうだ。

 

落語っていう芸はすごい。すごいと思いながらも、個人的にはあまり接点がなかった、というかなんだか熱心になれなかったのも事実であります。

 

高校時代に一緒にバンドをやっていたKくんが落語の話をしていて、これはかっこいいなと思って、当時角川文庫から出ていた落語全集 (全8巻ぐらい) を買って読んだ (確かに読んだ) んだけど、あまりぴんとこなかった。

 

こっちに来てから、日本に帰る友人が落語のテープを何巻も置いてってくれたんだけど、1本聞いたくらいでほとんど手をつけてない。

 

といいますか、私は落語をライブで体験したことがないのです。日本に帰ると必ず横浜にいくのですが、2年ほど前でしたか、桜木町の「にぎわい座」で歌丸さんが落語やるっていうんでチケット買いに行ったのですが、売り切れでした。仕方ないので、昼の部でやってた講談を聞いたんですが、けっこうおもしろかったです。

 

桂歌丸師匠の落語はテレビでも聞いたことがないんですが、一度、バラエティ番組で、歌丸さんがジャニーズのアイドルに落語の仕草を指導するっていうのをやってました。扇子を使ってそばをすする、とかそういう動きです。ほんのちょっとした仕草なんだけど、歌丸師匠がやると、とても艶っぽいんですね。あー、笑点の大喜利ってのは単なる余興で、実際の芸はほんとにすごいんだろうなー、と思った記憶があります。

 

それで、最近気づいたんですが、なんかしょうもないことを言ってしまって、場が凍ってしまったときに「歌丸です。」と付け加えると、なんとか場がつながる、というのがあります。

 

「杏仁豆腐の緒が切れた」
などと、つい思考を垂れ流してしまい、場がシラけてしまったとします。そこでとっさに「歌丸です。」と付け加えてみますと、みなさん、「あー、歌丸さんが言うんだったらしょうがないなー」という気分になります。みなさんも試してみてください。

 

音楽でいいますと、sus4のコードで不安定になったところで、メジャーコードで解決、と、そういった形になります。

 

これが歌丸さん以外の噺家さんだったらどうかといいますと、やはりこれはうまくいきません。

 

「命短し、タスキに長し。楽太郎です。」
やはり、楽太郎さんでは軽すぎます。いまや円楽を襲名しましたけれど、それでもやはり、楽太郎ごときに言われたくないよ、という気持ちになります。

 

「ブレイに行った? この無礼者が! こん平です。」
言うたびに両手を上げて大騒ぎしないといけないので体力がもちません。

 

「カマキリはカマキリ。小遊三です。」
小遊三さんだと顔が思い浮かびません。

 

上方だったらどうかといいますと、これもうまくありません。仁鶴さんだと「どんなんかなー」と突っ込みを入れられますし、三枝さんだと椅子から転げ落ちないといけません。

 

寒いギャグを中和するこの歌丸ワクチンにはほかの用法もあります。たとえば、結婚の申し込みといったシリアスな場面ではどうでしょうか。

 

「ハナコさん、僕の全人生をかけて、必ず幸せにします。結婚してください。

 

歌丸です。」

 

さすがにプロポーズぐらいは歌丸さんの力を借りずにした方がいいんじゃないかとも思いますが、歌丸さんに背中を押されたプロポーズには、女性も思わずうなづいてしまうのではないでしょうか。

 

また、肉親の死に直面するという深刻な状況ではどうでしょう。

 

「うちの親父、もう長くないらしい。医者によればあと3カ月。こんなことならもっと親孝行しとけばよかったよ。

 

歌丸です。」

 

父の異境への旅立ちすら恐れることはないんだと、歌丸さんが肩を抱いて勇気づけてくれているかのようです。

 

人生の節目節目で歌丸さんに見守られていたい。歌丸さんはもう日本の守護聖人の地位を獲得しているのではないでしょうか。

 

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