たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

ちょっといい日本

日本に帰ってくると、日本ってすごいなー、と思うことがいくつもあります。

 

ある日、コンビニに行きました。代金が合計 917 円だったんです。そこで 1017 円だそうとして、千円札 1 枚、十円玉 1 枚、一円玉 2 枚出したところで、一円玉が 7 枚ないことに気付きました。だったらということで、十円玉をもう 1 枚出して、1020 円からお釣りをもらおうとしたんだけど、でもそんな面倒くさいことはいいやと思って、小銭を全部引っ込めようとしたんですよ。そしたら店員さんが、「あ、いやいや、いいですよ」と言って、さっとお釣りを 105 円くれたんです。

 

あの計算の速さはすごいわー。オートマティズムの領域ですわ。

 

それから、道を歩いていたら、信号機に何か貼り付けてあるんです。

 

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なにかなー、と思ってみてみたら、落し物なんですね。

 

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そのへんの信号機が即席の逸失物預かり所として機能する国というのは、あんまりないんじゃないでしょうか。ちょっと神経質な国だったら、不審物として通報されて爆弾処理班が駆けつけちゃうレベルです。

 

あとは、たとえば本を読んでいて、その中で面白そうな本が紹介されていたとします。すると、もう翌朝には本屋さんに走ってその本を買うことができるんです。自分的にはこの凄さが一番凄い。アイルランドではこれはできません。いやまあ英語の本だったらできると思いますけど、日本語の本だとできません。

 

今回もいっぱい本を買ったんですが、その中の一冊が「民主主義が一度もなかった国・日本」(宮台真司&福山哲郎著)。以前、「移民のホスト社会への Integration」という文脈で、これを「統合」と訳すと感じ悪いし、Integration のいい訳語がないなーという話を書いたことがあったんですが (http://blogs.yahoo.co.jp/tarascoffeeshop/18001841.html)、この本読んでたら、いい訳語が見つかりました。「包摂」です。

 

これだったら、「共生」みたいにみんながなんかちょっとずつ遠慮しあう、っていう消極的な意味ではなく、ホスト・ネーションが主体的に働きかけるというニュアンスが出ると思います。

 

移民の話をするときに「共生」っていう言葉を使うのはもうやめてもらえないでしょうか。みんなでちょっとずつ遠慮すればなんとなく丸く収まるんじゃないかとか、そういうものでもないと思いますから。

 

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