たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

アンリの左手、その後

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フランスの疑惑のゴールの瞬間を切り取ったこの写真は、アイリッシュ・タイムズ (The Irish Times) に掲載されたものです。得点を決めたギャラス (青の 5 番) は喜怒哀楽をストレートに表現する男ですが、今回も興奮した表情でゴール・セレブレーションを始めています。ケビン・キルバーン (3 番)、キース・アンドリュース、リアム・ローレンス (7 番) の 3 人は手を上げて反則をアピールしています。GK のシェイ・ギブンはすでに踵を返して審判に駆け寄ろうとしています。写真の右端でアンリの頭上に手だけが見えていますが、これはアンリをマークしていたポール・マクシェインの右手です。今回の議論の中心人物であるティエリ・アンリは微妙な表情をしています。新聞のキャプションには「Henry looks on nervousely…」(不安そうに見ている、ぐらいの意味でしょうか) と書いてありましたが、私には彼が非常に困惑しているように見えます。

スポーツでも社会的な活動でもなんでもそうだと思いますが、物事はルールによって白と黒の 2 つにきっちり分かれているわけではなく、グレイなエリアが必ず存在します。そして、サッカーはたぶんそのグレイなエリアが大きなスポーツかもしれません。体の接触が「ある程度」は許されていたり、ボールが手に触れても必ずしもハンドとなるわけではありません。それがサッカーの不完全なところでもあり、だからこそサッカーは面白いのだともいえます。

プロのレベルでプレイしている選手であれば、グレイゾーンを最大限まで活用しようとするでしょう。それは自分のためだけではなく、チームのため、そしてチームをサポートするコミュニティーのためでもあるからです。セルフジャッジで完璧に白の部分だけでプレイするのは自己満足であると言えるかもしれません。特に攻撃の選手であれば、際どい賭けに出るのは習い性になっていると思います。その意味であのアンリのハンドは本能的なものだったと思います。やった後すぐに、今のはあまりにも明らかなファールだったと気づいたと思いますが。

ゴルフはルール違反があれば自己申告するクリーンなスポーツだという議論もありますが、それはフェアではありません。ゴルファーは基本的に自分しか代表していないのに対し、サッカーはチームスポーツであり、選手はその背中にチームやコミュニティーや国を背負っているからです。あの状況で (自国のワールドカップ出場があと数十分のうちに決まるという切羽詰まった状況で)、アンリに自己申告を求めるのは酷というものでしょう。

もし彼が、彼自身のことだけを考えているのであれば、あの場で自分がハンドをしたと申告すればよかったのです。そうすれば、アンリはフェアプレイの権化として称えられ、彼の行動は後世まで語り継がれたことでしょう。道徳の教科書にも載ったかもしれません。クリーンなパブリック・イメージが高まって、タイガー・ウッズやロジャー・フェデラーとともにジレット剃刀の CM に一生出演できたかもしれません。もちろん、サッカー界全体の評判を考えて、彼が「今のはハンドだった」と申告することができたかもしれません。そうだとしても、チームの利益よりも彼自身の利益を優先したという人は出てきたでしょう。審判が彼のハンドを見逃した時点で、アンリにはどう転んでも勝ち目はなかったのです。

さて、ここまでは現実に起こってしまったことを私がどう受け止めたかについて書いたんですけど、現実に起こったことをどう受け止めるかということと、将来的にこうした不正義が行われないようにどう対処すればいいかを考えることはまた別の話です。

サッカーを熱心にやっている人にとっては、サッカーとは反則の見逃しも含めてそれがサッカーという考え方があるかもしれません。個々の試合を見れば、ラッキーやアンラッキーがあっても、長い目で見ればそれはプラスマイナス・ゼロに収斂していくものであると。しかし、ライトなサッカー・ファンやサッカーを見ない人にとっては、あまりにも明らかな不正義が許されてしまう競技は欠陥スポーツに見えてしまうことも事実でしょう。ビデオの導入という明らかな解決策があるわけですから、真剣にこれについて考えるべき時期に来ていると思います。ビデオを導入するとゲームのフローが滞ってしまうという意見がありますが、ラグビーやテニスを見ていると、滞るどころか観客の緊張感は増しているようにも見えます。審判の役割が無くなってしまうという意見もありますが、テニスのように回数を決めてのチャレンジ制にすればそういうこともないでしょう。

アイルランド・サッカー協会は FIFA に再戦を要求し、FIFA はすでにその要求を却下したようです。しかし、これまでに少なくとも 2 回は再戦が認められた事例があります。

1 回は前回のワールドカップ予選のウズベキスタン対バーレーン戦。ウズベクの PK だったんだけど、キックの前に他のウズベク選手がエリア内に侵入したということで、本来なら PK のやり直しのはずなのに、なぜかバーレーンに FK が与えられた (ちなみにこのときの主審は日本人。また、この裁定もおかしくて、試合結果としては 1-0 でウズベクの勝利。得失点差が欲しかったウズベクが没収試合として 3-0 とするよう要求 (没収試合は 3-0 の決まりなので)。ところが、FIFA は再試合を命じ、結果は 1-1 でウズベクは抗議しただけ損になった)。これは、審判がルールの適用を間違えたということで、今回の誤審 (事実の評価を間違えた) とは性質が異なる、と いうのが FIFA の主張です。

もう 1 回は、1999 年にまで遡るんだけど、FA カップのアーセナル対シェフィールド・ユナイテッド戦。選手がけがをして、シェフィールドのキーパーがボールをピッチ外に蹴りだした。こういうとき、ゲームの再開時に相手チームはボールを返すのが紳士協定なんだけど、なにを思ったかアーセナルの選手はボールを返さずに得点を決めてしまう。このときは、アーセナル監督のアーセン・ベンゲルの提案により、再試合が実現しました。

アイルランド・サッカー協会のデラーニー会長はもともとは会計士で、私はなんだかいけすかない事務屋だと思っていたのですが、今回は仕事をしています。勇敢に戦った選手のためにも、ほぼ可能性はないとわかっていても (そして、ほとんど可能性がないのになにを頑張ってんだ、というシニカルな見方をする人がいたとしても) 協会はできる限りのアクションを取っています。

デラーニー:「FIFAの会議に出席するたびに、私はフェアプレイと誠実さについて聞かされてきた。これは、ボヘミアンズ対ウォーターフォード (両方ともアイルランドのクラブ) のカップ戦ではない。世界中がこの試合を見ていた。FIFA が本当にフェアプレイと誠実さを気に掛けているのなら、それを示すチャンスが訪れた。行動を起こすのは、サッカーというゲームを統括している人々の責任である。なぜなら、実際に行動を起こすことは、言うだけよりもずっと良いことだから」

デラーニーが戦略的にうまいのは、FIFA だけではなくフランスにもプレッシャーをかけている点。FIFA はこういうときに頑なになるのはわかっていることなので。

デラーニー:「フランスの判断にかかっている。フランス・サッカー協会の会長は試合の後、私のところに来て、あれはハンドボールであり、もし彼がティエリ・アンリなら、マラドーナのように人の記憶に残りたくはない、と言った。フランス協会が再試合に応じるというなら、FIFA も再試合を認めるだろう」

一夜明けて、いろいろなメディアを見ていると、フランス人も今回の結果について、控え目に言っても後味の悪さを感じています。結局のところ、国民の支援がなければスポーツ協会はなりたたないわけですから、フランス国民からのプレッシャーがあれば、フランス協会も再試合を考える可能性もあります。その可能性はごくわずかだと思いますが、でも、あります。

日本の新聞見ると、アイルランド人大激怒みたいに書いてる記事もあったんだけど、実際のところアイルランド人のほとんどは冷静です。大きい試合のときは、私、ちょっとお金を賭けたりするんですけど、今回はアイルランドが勝つ方に5ユーロ賭けたんですね。一応 90 分ではアイルランドが勝ったから、私も賭けに勝ったんです。それでブックメーカーに換金に行ったんですが、ブックメーカーってお金を賭けたりする業務の性質からか、係の人はお客さんとあんまり世間話みたいなのをしないんです。たぶん、そういう風に規則で決まってるんでしょう。ところが今回は係のお兄さんがいたずらっぽい笑顔で「Did you see the match?」(試合、見た?) と聞いてきました。賭け金もシリアスな大金ではなかったし、わけのわからんアジア人がほとんど勝ち目がないと思われてたアイルランドに賭けてたのが嬉しかったので、少々ルールを破ってもいいと思ったのかもしれません。私は話しかけられるとは思ってなかったので、「Yeah, It was…」と言って言葉につまり、「… incredible, wasn’ it?」とだけ言いました。お兄さんは笑顔のまま「At least, you got the result right,」(まあ少なくとも君の予想は当たったよね) とだけ言って、仕事の顔に戻りました。

(昨日、この日記をほとんど書いてたんだけど、仕上げられなかったのでアップできませんでした。そうこうしているうちに、昨日の夜に事態の進展があったんですが、そのことを書いちゃうとわかりにくくなってしまうので、昨日の時点の感想ということでこの日記をアップします。昨日の夜の進展 (フランスが再戦の可能性を否定した) については次回の日記で書きます)