たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

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トミー・ティアナン (2/2)

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前回 (http://blogs.yahoo.co.jp/tarascoffeeshop/21853426.html) 、長々とティアナンさんの過激発言に対する賛否を書いちゃいましたけど、これ読んで思ったのは、差別っていう熱くなりがちな議論にもかかわらず、お互いにヒステリックになってないなーということです。ストークス編集長がシャッター議員をちょっとからかい気味に批難しているぐらいでしょうか。どちらのサイドも辛抱強く、そして議論を面倒くさがっていないです。

ティアナンさんは単なる思い付きで過激な言葉を発したのではないことがわかります。計算して、批難されないぎりぎりのところ、もしくは批難されても反論できるぎりぎりのところまでリスクを犯したと思います。おそらく、批難されたときにどのように説明するかについても事前に考えていたでしょう。ティアナンさんは彼なりに表現の自由について真面目に考えているのだと思います。表現の自由の境界線をできるだけ押し広げることが、コメディアンとしての務めであり、社会への貢献だと考えているのだと思います。いや、私はまじめにそう思います。過激なこと言ってる俺ってかっこいい、とか、なんか文句言われたら謝っちゃえばいいや、というのとは覚悟が違います

実はですね、かなり前なんですが、アイルランド人の友人が、彼の日本人のガールフレンドと一緒にこの人のショーをライブハウスに見に行ったことがあるそうで、そのときは長崎と広島の原爆もネタにしていたそうです。具体的にどういうジョークかは聞かなかったのですが、その友人はそのジョークを「distasteful」(不快な)と形容していました。たぶん、控えめに形容したと思います。私の親戚や知人には原爆の被害にあった人はいないのですが、原爆をネタにしたと聞いただけで、私はちょっと腹が立った記憶があります。

だから、ユダヤ人が抗議する気持ちもわかります。ユダヤ人協会みたいな公式の立場の団体は当然抗議するでしょう。しゃれのわからない人たちだなーと言われようが言われまいが、こういうことがあったら抗議するのがこうした団体の仕事です。「ボラート」っていうカザフスタン人を主人公にしたコメディー映画が公開されたときに、カザフスタンが国として抗議したようにです。前回、ユダヤ人協会の抗議の内容を翻訳して書きましたが、非常に冷静だったのが印象に残りました。もちろん、個人としては「アメリカ政府はティアナンにビザを出すべきではない」(ティアナンはアメリカをツアーする予定がありました) などと強い口調で非難するユダヤ系アイルランド人の著名人もいましたが。

思うのは、表現の自由を守ることと差別的な言葉から人々を守ることの境界線はとても薄くてあやふやなもので、誰もが納得する正解があるのではないのだなーということです。だから、大声を出して怒りを爆発させて自分の考える境界線を押しつけるのも違うし、批難されるのを恐れるがために委縮したり、大声出されたから謝っちゃえみたいな態度も違うと思います。だけど、正解に近付ける努力はしないといけない。だからこそ、面倒くさがらず、辛抱強く、冷静な議論をすることが重要なのだなー、と今回のティアナンさんの事件で思ったのでした。