メリフォント・アビーはモナスターボイスから車で10分ほど走ったところにあります。ビジター・センターはもうオフシーズンに入っていました。再オープンは来年4月になります。
メリフォント・アビーはかなり大きな遺跡で私が見た中ではトーマスタウンのジャーポイント・アビーと同規模くらい。ただしメリフォント・アビーの方が荒廃が進んでいてディストピア感が漂っており、そういった雰囲気がお好きな方には最適です。
メリフォント・アビーは1142年にアーマー大司教の聖マラキーによって設立された、アイルランド初のシトー会の修道院です。メリフォントの意味は「蜜の泉」です。1170年頃には100人の修道僧と300人の平信徒がここで共に暮らしていたといいます。
1152年にはここでケルズ・メリフォントの会議が行われました(ケルズの会議とメリフォントの会議を合わせてケルズ・メリフォントの会議と呼ばれます)。この会議は現在にもつながるアイルランドのカトリック教会の枠組みを決める大事な会議でした。ダブリンとチュアム (Tuam) の司教区が大司教区に格上げされ、アーマー (Armagh) とカシェル (Cashel) と合わせて 4 つの大司教区でアイルランド全体を管轄することになりました。この4つの司教区は、今のレンスター、マンスター、アルスター、コナハトの4つのプロヴィンスにだいたい対応しています。
そして4つの大司教区の中で最も位が高いのはアーマーと定められました。ご存じの方も多いと思いますが、現在においてもアイルランドで最も位の高い大司教は、カトリック教会でもプロテスタント教会でもアーマーの大司教です。そのルーツはこの会議にあったわけです。
メリフォント・アビーは1539年に解体されます。その後、修道院に使われていた石を再利用して、1556年には要塞化された住居が建てられます。
1603年にはここでメリフォント条約が締結されます。これはアイルランドの諸侯とイングランドが戦った9年戦争を終結させるための条約です。9年戦争の終結により、ゲール人によるアイルランドの支配は終わりを告げ、アルスターへの植民が始まる契機となりました。
また、1690年にはボイン川の戦いでオレンジ公ウィリアムスがこの住居を本営として使用しました。
元の修道院の遺跡はあまり残っていないのですが、13世紀ごろのラヴァボ (修道士が食事の前に手を清める場所) の建物は圧巻です。質素を旨とするシトー会らしからぬ装飾を凝らした8角形の遺跡です。