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ノートルダム・ファイティング・アイリッシュとKKK

以前、アメリカのノートルダム大学の「ファイティング・アイリッシュ」というニックネームについて記事を書いたことがありますが、その由来について今日のアイリッシュ・タイムズのフランク・マクナリーさんのコラムに新たな情報が書かれていたのでご紹介したいと思います。

 

www.irishtimes.com

 

前回の私のブログ記事では、諸説ある中で最も有力なのは「第3代の大学学長を務めたウイリアム・コービー神父が、南北戦争時にアイリッシュ系兵士で構成される旅団の従軍聖職者だったから、というもの。」と書きました。

 

今回のマクナリーさんのコラムでは別の説が紹介されています。まず「アイリッシュ」の部分。これは、プロテスタント系のライバル大学がカトリック系のノートルダム大学につけた蔑称から来ているというもの。「Papist」(教皇主義者: イギリス宗教改革の時に英国国教会(プロテスタント)側がカトリック教徒に対して使った言葉)、「Dirty Irish」、「Horrible Hibernians」(ハイバーニアはアイルランドの美称)などと呼ばれていたそうです。

 

さて、「ファイティング」の部分ですが、1924年5月に学生と地元のKKK支部との間で発生した紛争に由来するところが大きいようです。当時、ノートルダム大学のあるインディアナ州KKK支部の会員は425000人いて、これはディープ・サウスのアラバマジョージアミシシッピの会員を合わせたよりも多かったようです。

 

KKKは黒人差別で有名ですけれども、黒人以外のマイノリティーも迫害してしました。ノートルダム大学とKKKインディアナ州支部の本部は同じサウス・ベント市にあり、ここではKKKのターゲットは主にカトリックで、特にノートルダム大が目の敵にされていました。

 

KKKインディアナ支部1924年に「アメリカ的価値観が脅かされている」として集会を計画します。学長さんなどは、これは暴動を誘うための罠だとして挑発に乗らないようにと警告していましたが、結局のところ暴力的な衝突が発生し、それは3晩にわたって続きました。

 

この衝突は学生側の勝利に終わり、KKKは敗走します。学生の運動能力も大きな武器になったようで、これが「ファイティング」のイメージの強化にもつながりました。KKK本部の2階にともっていた最後の電球を壊すために、アメフト・チームのスター選手だったクォーターバックが起用され、正確なスローで目的を達成したそうです。

 

また、じゃがいもを投げつけてKKK本部の窓を壊したなんていうディテールを聞きますと、さすが「ファイティング・アイリッシュ」の名に恥じないと納得してしまいますね。

 

もちろん、前回も書いたように、エイモン・デ・ヴァレラが1919年にこの大学を訪れて独立運動の支援を訴えたことも「ファイティング」および「アイリッシュ」とノートルダム大学を関連付けた決定的要素の1つにもなっています。

 

 

ノートルダム大学は1927年に以前は蔑称だった「ファイティング・アイリッシュ」を公式ニックネームとして採用します。かつての嘲りの言葉を自らのブランドに代えたのは、

 

  • クエーカー教徒 - もともとはこの派の人びとが神秘体験にあって身を震わせることからクエーカー(震える人)と俗称されるようになった
  • フランス印象派 - モネの『印象・日の出』を批評家が揶揄して印象派といったことからこの名前がついた
  • サフラジェット - 参政権を求める人々は正式にはサフラジストと呼ばれていたが、婦人参政権運動を行う特定の団体を矮小化する意図で、女性を意味する接尾語であるetteを組み合わせて造られた言葉

 

などがあるそうです。

 

 

 

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