ダンレアリに有名なニューズエージェントがあって、「ラスト・コーナー・ショップ」っていう名前なんですが、そこの名物店主が引退するというニュース。アイリッシュ・タイムズにもインデペンデントにも記事が載っていました。
このお店は、まず雑誌・新聞の品ぞろえが異常なことで有名。アイルランドの地方紙、業界誌、ル・モンドやニューヨーク・レビュー・オブ・ブックなど海外の新聞や雑誌も取り揃えていました。たしか、直近のものだったら今日のものじゃない新聞も置いていた気がします。「イーソンズになかったらここに行け」などとも言われていたようです。
また陳列の仕方もユニークで、店の前に台や板を並べてその上に商品をぞんざいに置いているというもの。雨がかかって新聞が濡れてめぐれあがっていても平気です。また、営業時間も長くて、午前5時から午前2:30まで。
引退する店主の名前はジョン・ハイランドさん(69歳)。キルメイナムでお父さんがニューズエージェントを経営していて、そこの仕事を手伝い始めたのが約50年前。そして35年前にダンレアリに移ってきたそうです。
当初は現在の店の向かいでアレックス・ラッキー・ロット・ニューズエージェントという店をやっていたそうですが、16~17年前に売却。少しお休みした後、現在の場所でリース権を購入して店を再開したそうです。
アレックスという人は実際にいたそうですが (前のオーナーなのか、従業員として雇っていたのかは不明)、ジョンさんは「自分がアレックスだ」と言い張っていたので、今でも彼のことをアレックスと呼ぶ人がいるそうです。
本人も認めていますが、商売人としてはあまり気の利くタイプではないようで、そのぶん、ジョンさんの心温まるエピソードはいっぱいあります。SNSなどでシェアされているんですね。
たとえば、近くに住む老女はお金がなくてジョンさんがツケで商品を渡していたところ、彼女が死んだときにはツケの総額が4桁 (数十万円分) になっていたとか。賞味期限切れまじかのチョコを子供たちにあげたとか。生活に困ったシングル・マザーに必需品の入ったパッケージをそっと渡したとか。薬物中毒者にタバコを渡して「払えるときに払ってくれればいいよ」と言ったりとか。
アイリッシュ・タイムズの記事には、そのことをちょっと批判的に見ている人の証言も引用されていて、「こすい人につけこまれるようなところがあった。店を開けているより、閉めてた方がもうかったんじゃないか」などと言っています。
ジョンさん自身の証言。困窮している女性がいて、その人にときどき商品をあげたりしていたそうです。「その人が1996年にプレイボーイを買いに来たんだ。息子のために。5ポンドもした。そのとき、アイルランドはもう貧乏な国じゃないんだと思ったね」。
1996年はたしかプレイボーイの販売がアイルランドで合法になった年です。
出版業界に関するジョンさんの思い出。新聞を一番売った事件はスターダスト(ナイトクラブ)の火災 (1981年)。しかし、ここ20年くらいはニュースで新聞は売れなくなったそうです。国家予算の発表時 (税率や控除などが発表されるので国民的関心事) に新聞が売れたのも7~8年くらい前まで。パンデミックが始まってから、土曜日の新聞は売り上げが増え、日曜の新聞も少し増えたそうです。平日の新聞の売り上げ減少もここ2年ぐらいストップしているそうです。
ジョンさんは自分でも「私はニュース産業が大好き。ちょっと中毒になるね。お客さんをがっかりさせたくないんだ」と言っています。ご家族の方は、ジョンさんが長い時間働いているのを心配して、早めに引退してほしかったみたいです。
ジョンさんの引退後の計画は、電気自転車を買ってバロー・グリーンウェイ (Barrow Green Way)を走ること。バロー・グリーンウェイはキルデア県からカーロー県までバロー川沿いに続く100kmほどの自然道です。
お店自体はしばらく休業したあと、ここでパートタイムとして働いていたラフル・マハジャンさんが引き継いで再開するそうです。