1980年代から2006年のリーマンショックにかけて、約 9000 戸のアパートメントを作ったリアム・キャロルという不動産王が亡くなりました。70歳。
実は私がいま住んでいるアパートも、彼の会社が建てたものなんですよ。そんなこともあって、バブル時代も、バブルが崩壊してからも、彼の記事にはそこそこ目を通していました。
この人は、値段の手ごろなアパートを手掛けることで有名になった人です。小さなワンベッド・ルームのアパートをたくさん作りました。靴箱のように小さい部屋ということから、彼は Shoebox King (靴箱の王様) などとも呼ばれていました。まあ、悪口ですね。
ダブリンにお住まいの方は、オコネル・ブリッジのすぐそばに、バチェラーズ・ウォークというアパートメント・ブロックがあるのをご存じだと思います。町のど真ん中、南向き、川のほとり。最高の立地です。このアパートを建てたのもキャロルです。
この場所は、ある会社が8 0 年代ぐらいから再開発しようと計画していたのですが実現せず、20年ほど放置されたままになっていました。その会社がキャロルの会社にこの土地を売却したのが 1993年。値段は350万ポンドだったそうです。6億円ぐらいですから、今の感覚だと「やすっ」ってなってしまいます。
バチェラーズ・ウォークの開発にあたって、ある人が「すばらしい立地だから、それにふさわしい素晴らしい建築物にしないとね」みたいなことを言ったところ、キャロルは「建築家はベンツを運転してるような人のためのペントハウスを設計することにしか興味がないんだよね」と返したそうです。
完成したバチェラーズ・ウォークには、335戸のアパートがあるのですが、そのうちの294戸がワンベッド・ルームのアパート。そのうち9戸は狭すぎて法律上はアパートと呼べないものだったそうです (30平米ないとアパートと呼べない決まり)。スリーベッドのアパートは5戸しかありません。まあ、だから Bachelors Walk というのはふさわしい名前ということです (Bachelors は「独身者」という意味)
私も友人が住んでいたので行ったことがありますが、狭かったです。
あと、キャロルは他の不動産デベロッパーがファッショナブルだと思っていない地区にアパートを建てることでも有名でした。私の住んでいるスミスフィールドも、当時はそんなエリアだったかもしれません。
いろいろ悪口も言われますが、彼の支持者は、手ごろなアパートを提供し、荒廃した地区を再開発し、若い世代を街なかに呼び戻したと評価しています。
キャロルも後にはラグジュアリーなアパートを手掛けるようになります。ダブリン4のガスワークスや、シャーロット・キーのミレニアム・タワーもこの人の仕事です。
不動産王なんていうと、華やかなライフスタイルをつい想像してしまいますが、キャロルはメディアに出るのは大嫌いで、生活もそれほど贅沢なものではありませんでした。普通の車を運転し、マウント・メリオンの比較的質素な家に家族と暮らしていました。
バブルの真っ最中や崩壊直後は不動産関係者はやり玉に挙げられていましたし、キャロルは派手に事業を営んでいたので、矢面に立つことも多くありました。特に崩壊後は銀行家や不動産デベロッパーは社会のサンドバッグみたいになっていたこともあったでしょう。まあ、私も「こんにゃろめ」みたいにやっかみ半分で考えていたこともありました。しかし、10年も経ってみると人の気持ちは変わりますね。このブログを書きながら、ああ、この人は人生で一仕事したんだなあ、などと思っていました。ご冥福をお祈りします。