大学の敷地って割と誰でも入ることができるわけですけど、過去何十年にもわたって UCD に通ってはキャンパスで時間を過ごしていたホームレスの方が亡くなりました。
マイケル・バーンさん。71歳。もう大学の欠かせない一部のようになっていた彼は、大学のスタッフや学生から親しみを込めて「オールド・マン・ベルフィールド」と呼ばれていました。ベルフィールドというのはUCDのメイン・キャンパスの名前です。
UCD の公式ツイッターもお悔やみの言葉を述べ、それをトップにピン留めしています。
Michael Byrne, affectionately known as “Old Man Belfield” by students and staff, sadly passed away on Monday 11 January 2021.
— University College Dublin (@ucddublin) 2021年1月11日
A fiercely private person, we thank those of you who quietly looked out for Michael.
We will miss him around the campus.
Ar dheis Dé go raibh a anam. pic.twitter.com/3Dnbdjyssf
「学生やスタッフに親しみを込めて “オールド・マン・ベルフィールド” と呼ばれていたマイケル・バーン氏が2021年1月11日にお亡くなりになりました。孤独を愛する人でした。彼のことを静かに見守ってくれていた皆さんに感謝します。キャンパスでもう彼の姿が見られなくなることを残念に思います」
アイルランドの主要紙も記事にしている。
マイケルさんは11日のお昼ごろにキャンパス内で倒れているところを見つかり、死亡が確認されたとのこと。
アイリッシュ・タイムズの記事には、後見人のような立場だったサムさんという方のインタビューが載っています。
サムさんはマイケルさんの代理として毎週郵便局で国の年金を受け取っていたとのこと。マイケルさんは、雨が降ろうが風が吹こうが、木曜の朝8時半になるとサムさんの家にお金を取りに来ていたとのこと。マイケルさんは一言もしゃべることがなかったそうです。
年金を受け取る役は、元々は、サイモン・コミュニティというホームレスの人のためのチャリティで働いていたサムさんのお母さんがやっていました。始めたのは30年ほど前のこと。お母さんがマイケルさんのことを気に入ったとか、そんな感じで始まったそう。そのお母さんが亡くなり、お父さんが引き継いだのですが、そのお父さんも亡くなり、7年前からサムさんの役目となったそうです。
サムさん「彼は誰ともかかわりあいを持たず、自分の世界に暮らしていました。しかし、会釈やウインクをしたり、ハローと言ってくれた人のことはありがたく思っていたと思いますよ」
ダブリン市役所が公営住宅を世話しようとしたのですが、バーンさんはホームレスでいるのが「comfortable」と言って断りました。ほんとうに家を持たずに一人でいるのがライフスタイルだったみたい。
記事には、大学のスタッフ、先生、卒業生の思い出話がいくつか紹介されています。また、上で紹介したUCDのツイートにも、多くの人が個人的なエピソードを書いて返信したりしています。
以前も、トリニティ大学に、学生でもないのに毎日のようにキャンパスを訪れていたおじいさんがいました。その方は日本人で、私たち日本人からはマテオさんと呼ばれ、トリニティの学生やスタッフからは “Matt the Jap” などと呼ばれていました。Jap というのはアメリカでは侮蔑語ですが、アイルランドやイギリスでは単に Japanese の略です。
私もマテオさんとは2回ぐらい会ったことがあって、ずっと昔、毎週木曜にモンクレアホテルというところで日本人とアイルランド人が集まって飲む会があったんですけど、マテオさんもたまに顔を見せていました。マテオさんは耳が聞こえないので筆談したのを覚えています。
少なくとも7ヶ国語を操り、フランス文学の博士号を持ち、サウジアラビア政府から補助金をもらって中世のイスラームの旅について論文を書き、ヨーロッパの王様の半分以上と面識があると言われ、メアリ・マカリース大統領(当時)のクリスマスカード発送リストにも名前が載っていて、トリニティの図書館の古い貴重な文献に落書きしているところを見つかって出入禁止にされ、トイレに隠れて一夜を明かしてトリニティー・ボール (学生達の正式なパーティー) にゲートクラッシュし、女子学生のスカートを杖でまくり、自分のお気に入りの席を占領している学生に殴りかかるなど、エピソードには事欠かない人でした。
バーンさんやマテオさんのような人を受け入れるこちらの大学の懐の深さは凄いと思います。
マテオさんはホームレスではなくて、アパートに住んでいたんだけど、最後の方は隣に住んでいた看護師さんだかが世話を焼いてくれていたとか。死後、10万ユーロぐらいをため込んでいたのが見つかったという話があって、そういうのもとてもマテオさんぽいっと思う。
マテオさんは2007年の暮れになくなり、そのこともアイリッシュ・タイムズの一面下に小さな記事になりました。