たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

忌野清志郎

忌野清志郎さんが死んでからしばらく経って落ち着いてきたので、今日は彼のことを書きたいです。

実際によく聞いたのはロックバンド形態になってすぐの『シングルマン』から『Blue』ぐらいまでなんだけど、それでも「いつも心に清志郎」状態でした、これまで。清志郎さんがすごいのは、洋楽のロックやらソウルやらを日本語化しちゃったこと。今の時点から見ると、「それはモノマネしただけでしょう」っていう人もいるかもしれないけど、そうじゃないです。セックスの暗喩満載の歌詞とか、曲の途中で「習志野ナンバー、Yeah」とかご当地ナンバー叫んでその地域の奴らが盛り上がるとか、1 time、ドン、2 times、ドン・ドンとか、マントショーとか、向こうのを持ってきて、組み替えて、血の通った日本語にローカライズしたのは清志郎さんなんだよ。ヤ・リ・タ・イ・ゼ、ウッ みたいなMCとか。日本にない概念を持ってきて一般化するんだから、ドイツ哲学を最初に日本語に翻訳した人ぐらいにはすごいんだよ。とか云いつつ、いまYoutubeでフォークバンド形態の頃のステージを何曲も上げてくれてる人がいるんだけど、こんな曲って他で聞いたことないよなーっていう曲ばかりだ。興味のある人はYoutubeで「初期のRCサクセション」で検索してみてください。ギミックがないだけにもしかしたらミュージシャンとしての凄さはこの頃の方が感じられるかもしれない。私の少ないレパートリーの中で、「Day Dream Believer」を歌うときは清志郎さんが作った日本語歌詞です。
彼は喉頭がんを患って、長生きすることだけを考えれば別の治療方法があったんだ。それは外科手術でがんを含む部分を切り取っちゃうことなんだけど、そうすると声は出なくなるし、食事も普通にはできなくなるらしい。日本だと延命に重点を置くことがおおいと思うんだけど、清志郎さんはそうじゃなかったね。

前にイギリスのテレビを見てたら、医療の専門家が出てきて、無用な延命治療について考え直すことを呼びかけていた。その人の説得の仕方としては、人としての尊厳を保ったまま亡くなった方が、遺族は故人の尊厳のある姿を記憶に留めておくことができる、というものだった。宗教家ではなくて医療の専門家がテレビでそういう議論をしていること(または、そういく議論ができること)にちょっと驚いたわけだが、清志郎さんのことを考えるとこの人の議論はとても説得力がある。

実際に死の間際になったらそんなこと言ってられるだろうかとも考えるけど、死なないことが人生の目的ではないっていうのも事実だし。日本だと医療の専門家がそういう議論をテレビでできるかな。人でなしとか冷血漢とか人格攻撃されて議論にならない気もするのだが。

彼の周りの人たちのお悔やみの言葉についてもいろいろ思った。三浦友和(高校んときの同級生)の「言葉もありません」とか、オノ・ヨーコの「よき理解者でした」とかは、シンプルだけど敬意がこもっていてよかったと思ったのだが、清志郎さんと同年代のミュージシャンでひとり大騒ぎしている人がいて困ったなーと思った。清志郎は死んでなんかいない、バカヤロー、みたいに大声出すんだけど、還暦にもなって友人の死を受け入れられないってどうなのよ、ちゃんと死者を見送ってやれよ、と思いました。意地悪な見方をすると、暴れん坊の芸風に合わせて自分を演じているような印象で、まあ一言でいうと、みっともなかったです。

弔辞を読んだ人の中では甲本ヒロトのがよかったです。記事の見出しが「なんてひどい冗談なんだ」だったので、この人も大騒ぎしたいのかなあと思ったが、弔辞全文を読むととてもよかった。やっぱり故人の思い出をユーモアも交えながら語るっていうのが定番ですけど一番いいですね。主役は弔辞読む人じゃなくて、読まれる方の人なんだから。

甲本ヒロトの弔辞全文
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/090509/msc0905091549013-n1.htm