たらのコーヒー屋さん - 2 店舗目

たらのコーヒー屋さんです。

北アイルランドでも。。。

先日、ドネゴール県のバンクラナにあるパブが、パイントのデリバリーサービスを始めたところ、警察にやめさせられたのだが、最終的に合法であるという判断が下され、サービスを再開したという記事を書きました。

 

tarafuku10.hatenablog.com

 

ところが、昨日のアイリッシュ・タイムズ紙によりますと、北アイルランドでも同じことが起こったとか。

 

 

このパブは、ベルファストにあるハットフィールド・ハウス・バー。ロックダウン中の4月にこのサービスを始めたところ、警察がやってきて中止させられたのですが、パブは弁護士を雇って合法の判断を勝ち取ったそうです。バンクラナの件とまったく同じですね。

 

顧客が事前に代金を支払うと、ギネスの樽を積んだバンが自宅までやってきて、その場でギネスを注いでくれるそうです。パブのマネージャーによると注文の電話が鳴りやまないとか。

 

記事に掲載されている写真がまたいいですね。黒マスクにフェイスガードをした通称「パイント・マン」が、プラスチックの使い捨てコップに入ったギネスを4杯配達しているの図。後になって振り返ったときに、ロックダウンの時期を象徴する写真の1枚になるのではないでしょうか。

 

アイリッシュ・タイムズの取材に答えてマネージャーのリッチー・キーナン氏は、「ほっとした。この(合法の)判断で雇用が守られる。顧客はとてもハッピーで」と言っています。ロックダウン中にそこまでして金儲けしたいのか、などという口さがない自粛警察さんもいるかもしれませんから、従業員のこと、そして顧客のことを考えてのことだ、と強調するのは重要なことでしょう。

 

お上にモノ申しても酒だけは飲むぞ、という強い意思を感じさせるお話。「酒飲み」「反抗精神旺盛」というアイルランド人のステレオタイプに見事に合致する微笑ましいニュースでした。

 

1875年のダブリン・リバティーズ地区の大火事の話

1875年にダブリンのリバティーズ地区で大火事が発生しました。当時のダブリンはウイスキーの世界ナンバー1の生産地。今のティーリング蒸留所あたりにあった、マローンズというウイスキー等の保税倉庫から出火します。

 

火事が発生したのは618日金曜日の夜のこと。最後に倉庫の鍵を閉めたのは徴税官。それが午後4:45のこと。そして、最初に火の手が発見されたのは午後8:30ごろです。消防隊が駆け付けたころには、これまで見たことがないほど火は大きく広がっていました。

 

樽が火に包まれ、ウイスキーが漏れ出すと、それに火が点いて樽は大きな音を立てて爆発します。大量の樽を貯蔵していたマローンズ倉庫からは、59メートルの青い炎を上げながらウイスキーが川のように流れ出します。ある目撃者は、この様子を「燃える洪水」と表現しています。マローンズ倉庫は318リットル入りのウイスキーの樽が少なくとも1800あったと言われており、当時の新聞はワインやブランデーを含めて5000樽あったとも書いています。

 

火は近隣の家屋も襲います。人々は持てるものだけ持って大慌てで避難します。通夜を行っていた家では死体を抱えて逃げ出したそうです。緊急手段として馬や豚や犬は放たれ、そうした動物がその辺を走り回っています。

 

野次馬たちも集まってきます。日本でも「火事と喧嘩は江戸の花」などといいますが、娯楽の少ない時代には、大きな火災というスペクタクルに不謹慎ながらも人々は興奮したのでしょう。さらにこの火事ではウイスキーの匂いに引き寄せられてきた人もいます。人々はビン、ポット、帽子、靴など、使えるものをすべて使って流れるウイスキーを掬ったそうです。そして、この群衆をコントロールするために、数多くの警官と軍隊が駆り出されました。

 

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(下でご紹介するThe Great Liberties Whiskey Fire』という本から。元々は L'Illustrationというフランスの新聞に当時掲載された挿絵)

 

水をかけるという従来のやり方では、逆にウイスキーの流れに乗って火が拡散してしまうので、風変りな消化方法が採用されました。肥え(つまり、牛馬の糞)を使って流れ出るウイスキーを堰き止めたのです。動物の糞以外にも、住居の裏庭に貯めてあった人間の排泄物(今ほど下水が近代化されていない時代です)、皮なめし工場の廃棄物(当時の皮なめしの工程では、尿、犬の糞、動物の脳みそなどが使用されていました)が大急ぎで集められました。

 

もう1つ有名な話は、この火事に関連して死亡したのは13人とされていますが、誰も火事の直接の被害で死んだ人はいないということです。火傷や煙で死んだ人もいなければ、倒壊する建物の下敷きになって死んだ人もいないのです。なんで死んだかというとアルコール中毒です。火事の見物に集まった野次馬たちの中に、帽子や靴で流れているウイスキーを掬って、しこたま飲んでしまった人がいたのです。

 

火災が発生した夜は、たまたまアメリカ人の記者が数多くダブリンに滞在していました。アメリカ対アイルランドの射撃の競技会が開かれていたので、取材に訪れていたのです。そのため、この火災とそれに伴う大混乱は、アメリカでも大きく報道されたようです。

 

以上、リバティーズの大火災について知ったような顔をして長々と書いてきましたが、元ネタは『The Great Liberties Whiskey Fire』という本です。先日(20202月頃)ティーリング蒸留所のギフトショップに言ったときに購入したものです。100ページに満たないソフトカバーですから、小冊子といってもいいかもしれません。本の発行は201912月です。

 

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この本のおもしろいところは、著者のラス・ファロン (Las Fallon) さんが、熱心なアマチュア歴史家であると同時に、元消防士だということです。30年にわたってダブリンの消防署に務めていたそうです。ですので、火を消す側からの視点で書かれているのですね。

 

牛馬の糞を使って溶岩のように流れるウイスキーを堰き止めるというアイデアを出したのは、当時のダブリンの消防隊長だったジェームズ・イングラム氏。

 

イングラム氏は1850年代にアメリカに移住し、ニューヨークで印刷関連の仕事をしながら、ボランティアで消防隊に参加していました。そこで培った経験を、ダブリンに戻ってきて生かしたわけです。

 

イングラム隊長は1881年に結核でこの世を去りますが、ダブリン市内には彼の功績を称える記念碑などなく、彼の墓には墓石もないそうです。本の著者のファロン氏は、そのことを嘆いておられます。

 

出火元となったマローンズ保税倉庫のあった場所は、コーク・ストリート、アーディー・ストリート、チェンバー・ストリート、オーモンド・ストリートに囲まれた一画です。ここは、45年前まで柵に囲われた空き地だったのですが、今では市民が憩える公園に生まれ変わっています。

 

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このあたり一帯は再開発が進んでいて、大火災があった当時の面影はほとんど残っていません。道を挟んでマローンズ保税倉庫の東側にあったワトキンス醸造所だけが廃墟のような形で残っています。ただし、建物の一部は今でも倉庫または事務所として使われているようです。

 

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ちなみにファロンさんの歴史への熱意は息子さんのドナルさんにも受け継がれたらしく、ドナルさんはダブリンの歴史や文化について語る comeheretome.com  というウェブサイトを主宰されています。 

いろんな言語の新型コロナウイルス関連啓発ポスター

今日の朝はフィブスボロの方に散歩に行きました。道に新型コロナウイルス関連の啓発ポスターが掲出されているんですが、さまざまな言語が用意されているんですね。初めて見ました。

 

たとえば、こちら。

 

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左から英語、ポルトガル語スペイン語です。ポルトガル語はおそらくブラジルのポルトガル語だと思います。

 

それから、こちら。

 

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左はラトビア語、真ん中は何語かなあと思ったら、アイルランド語でした。右が英語。「Heros Stays At Home」

 

こちらは左がラトビア語、中がポーランド語、右がスペイン語

 

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それから、オモシロ系のポスターもあります。

 

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このポスターに写っているのは、BBCとRTEで放映されている『ミセス・ブラウンズ・ボーイズ』という大人気シットコム番組の主人公であるミセス・ブラウン。演じるのはブレンダン・オキャロル(男性)。アイルランドのワーキングクラスの肝っ玉かあちゃんです。

 

ここまでのポスターはすべてダブリン市役所が掲示しているものです。

 

それから、ストーニーバターの方に戻ってきていますと、道路にこんなペイントがしてありました。

 

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「When Can We Kiss Again」(次にキスできるのはいつ?)。ソーシャル・ディスタンスの規則で、一緒に住んでいない限り、触れ合うことはできませんからね。ロマンチックじゃないですか。

 

そして、午後になって、また別の地域に散歩に行ったんですね。それで、ちょっとタフなエリアを歩いていたところ、今度はこんな落書きが道路にありました。

 

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私はこれは訳しませんよ。明らかに同じ人の落書きだと思いますが、地域に合わせて落書きの種類を選んでいるのかもしれませんね。

パブからパイントをデリバリーしてもらうのは合法

今回のコロナ騒動で、アイルランドのパブがすべて閉鎖されるというニュースが流れたとき、「アイルランドでパブが閉鎖されるのは、香川県うどん屋が閉鎖されるのと一緒」というツイートを見て大笑いしました(私は香川県出身です)。

 

現在のアイルランドは、パブは全面的に休業、酒屋さんはソーシャル・ディスタンスを守りながら営業、飲食店はデリバリー/テイクアウトのみOKという状況です。

 

ところが、法のあいまいなところをついて、ビールをパイントに注いでデリバリーするパブが現れたんですね。

 

www.irishtimes.com

 

アイリッシュタイムズの記事によりますと、たとえば、ドネゴール県バンクラナのオフラハティーズ・パブ。このパブは、このサービスに「ギネス・エクスプレス」という名前を付け、ビールをパイント・グラスに注いでラップして顧客に届けていました。ところが先週末、警察がやってきてこのサービスを中止させ、パイント・ビールも没収されたとのこと。パブのスポークスマンによれば、どの法律に違反しているのかと尋ねても、警察は答えなかったとか。

 

その後、警察本部が得た法的アドバイスによると、事前にパブにおいて代金の支払いがあれば、デリバリーは合法とのこと。もちろん、パイント・グラスに注がれたビールをテイクアウトするのもOK。また、現在「合理的な理由」がなければ自宅から5kmを超えて移動できないのですが、パイントを買いに行くのは「合理的な理由」に含まれるとのこと。ただし、テイクアウトの場合は、買った場所から100m以上離れていないと飲んではいけない。

 

いや、しかし、そこまでするなら普通に酒屋さんで缶や瓶のビールを買えばいいのではないか、と思いますが、どうしてもタップで注がれた生ビールを飲みたいんですかね。それがこだわりというものでしょうか。

 

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旧ミドルトン蒸留所の見学ツアー

2019年2月、もう1年以上前のことになりますが、コーク県ミドルトンにあるジェムソンの蒸留所を見学に行ってきました。テイスティングウイスキーも飲むだろうし、ということで、ほんとうに久しぶりに鉄道を使って日帰り旅行をしたのです。そのときのことを、ロードトリップ風に書いていきたいと思います。

 

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2月17日の朝、徒歩でダブリン・ヒューストン駅へ向かいます。私のウチから歩いて10分ほどです。

 

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コーク・ケント駅行き9時発の列車に乗りました。

 

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前日にネットで予約したのですが、予約のときに名前を登録します。列車に乗ると、窓の上の座席番号を書いてあるところに小さいLEDディスプレイがあって、そこに名前が表示されているのです。これは、びっくりしました。

 


列車の中ではのんびり本を読みました。ウエルベックの『地図と領土』です。この小説、作者のウエルベック自身が作中に登場するんですが、アイルランドに住んでいる設定になっているんですよね。

 

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11時30分ごろコークのターミナル駅であるケント駅に着きました。私はこの駅でも1つ見たいものがありました。郵便ポストです。

 

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この郵便ポストは珍しく、差し出し口が上を向いているんです。これでは室内にしか置けませんね。製造されたのが1857~1859年というのですから、もう160歳を超えて現役です。

 

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駅の構内には古い機関車も展示されていました。

 

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駅の売店でスコーンを買って昼食としたあと、いよいよミドルトン行きの電車に乗ります。今度は見るからに近距離用の電車ですね。

 

ミドルトンまでは電車で25分。ミドルトンの町を歩いて、道に迷わなければ20分ほどでミドルトン蒸留所につきます。

 

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ミドルトンはアイルランド第二の都市であるコークの衛星都市といっていいでしょう。ここからコークに通勤している人も多いはずです。

 

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さて、いよいよ蒸留所に到着しました。

 

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旧ミドルトン蒸留所は、もともとは毛織工場であり、それが兵舎になったあと、1825年に蒸留所として生まれ変わりました。実際に稼働したのは1975年まで。新しい蒸留所が隣に建設されたので、この施設はお役御免となったのです。1992年に博物館的なビジター・センターとしてオープンしました。現在の正式名称は “Jameson Experience, Midleton”。俗に “Old Midleton Distillery” などとも呼ばれます。毎年約10万人の観光客がここを訪れるそうです。

 

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この蒸留所の元々のオーナーはコーク・ディスティラリーズ社です。この会社は、今も販売されているパディー (Paddy) というウイスキーやコーク・ドライ・ジン (Cork Dry Gin) というジンを作っていました。

 

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ご存じの方も多いと思いますが、20世紀に入ってからアイリッシュ・ウィスキーは退潮の一途。それに歯止めをかけるため、コーク・ディスティラリーズ、ジェムソン、ジョン・パワーの3社が1966年に合併してアイリッシュ・ディスティラーズ社という会社を作り、このミドルトンを生産の本拠地としたわけです。

 


アイリッシュ・ディスティラーズ社は大企業だけあって、敷地は広いですね。北アイルランドブッシュミルズよりも大きいと思う。新興のマイクロ蒸留所の比ではありません。

 

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ロビーで待機した後、ツアー出発です。日曜日ということもあってか見学者は30人ほどの大人数。国際色も豊かです。

 


ビデオを見せてもらった後、旧蒸留所の建物の中に入ります。非常に古い造りのまま保存されていて、1970年代まで使用されていたというのがちょっと信じられないほどです。

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こちらの大きな建物は、原料である大麦の貯蔵庫として使用されていたようです。

 

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動力源である水車。この蒸留所は、ダンガーニー川という川のほとりにあります。

 

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今は使用されていないポットスティル (蒸留器)

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ポットスティルとカラム (コフィ―/連続式)スティルの原理を説明する図。

 

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ツアーの途中で、稼働している新蒸留所の姿を見ることもできます。手前の古い小屋の後ろに見える近代的な建物がそれです。

 

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この旧蒸留所は稼働していないと書きましたけど、実は小規模の蒸留施設が設置されているんですね。ここでは研究・実験のために利用しているようです。

 

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それからこちらは樽職人の作業場だったところです。

 

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お役御免になった古い設備が庭に飾ってあったりします。

 

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すぐ上の写真に「Worm Tub」と書いてありますが、これは直訳すると「虫の桶」となります。もちろん生きている虫が入っているわけではありません。ポットスティルで蒸留されたアルコールを冷まして液体にするために曲がりくねった管を通すのですが、その管が虫のように見えることから「Worm Tub」と言うようです。

 

ちなみに、ジェイムズ・ジョイスの作品に『ダブリン市民』という短編集がありますが、その最初の短編である「姉妹」の冒頭に、ウイスキーの製造過程を語る文脈で「faints and worm」という言葉が出てきます。「faints」の方は、蒸留した後に残る不純アルコールのことです。

 

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(今回の記事は別のブログに書いたものを少し修正して転載しています。私は何の気なしに Worm Tub の写真をアップしていたのですが、読者のおひとりにコメント欄で Worm Tub のことをご指摘いただき、あらためて『ダブリン市民』の話を思いだしたのでした。ありがとうございました)

 

そして最後はお楽しみのテイスティングですね。車じゃないので心おきなく飲めます。

 

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今回のツアーで一番驚いたのは、パディー・ウイスキーアメリカの会社に売却されたという情報を聞いたことです。パディー・ウイスキーはこの蒸留所の主力商品だったわけですから。ガイドさんの説明では、たまたまこのツアーの翌日が所有権の移る日だと聞いたと思ったんだけど、今Wikipedia を見ると2016年ということになっています。2016年に交渉が成立して、実際に移行したのが2019年ということでしょうか。

 

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Paddy ミニボトル

 

鉄道の旅は時間が列車の時刻表に縛られるという難点はありますが、本を読んだり、車窓から景色を眺めたりしながら、のんびりと旅ができるのがいいですね。

 

今回、私は日帰りでしたが、週末に1泊旅行でコーク市内やコーブの街などを見て回るのもいいのではないでしょうか。

 

さて、ミドルトンは小さな町ですが、和食屋が2軒ほどありました。そのうちの1軒、Ramenという店に入り、Japanese Udon Noodles というのを食べました。チキン入りで12.95ユーロ。焼うどんですね。

 

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ソフトクリームがもれなくついてきます。カップだけもらってセルフサービスで盛るのです。不器用な私ですが、わりと上手にできました。

 

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ツアーの所要時間は75分間ほど。2020年3月現在の料金は23ユーロです。48ユーロでプレミアム・テイスティング・ツアーというのもあるようです。(5月現在、コロナウイルスの影響で休業中です)

 

ジェムソン・ミドルトン蒸留所公式 Web サイト

灰皿コレクション

お酒やたばこ関連のレトロなグッズのコレクションを始めるのに、一番とっつきやすいのが灰皿だと思います。看板やパブ・ミラーなどに比べて値段が張りませんし、その割にはデザインにもバラエティーがあって楽しめるからです。

 

値段的には、ノミの市で買うと10ユーロ前後、オークションだと3つくらいまとめてハンマー・プライスが20~30ユーロというところではないかと思います。

 

今日は、数少ないですが、私の持っている灰皿コレクションをご紹介します。

 

最初はこちら。

 

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アフトン(Afton)およびメイジャー(Major)というタバコの灰皿です。タバコは昔はテレビでもCMを打っていたし、灰皿、トレイ、ビアマットなど、パブにはタバコの宣伝があふれていました。

 

2つとも、ラウズ県ダンドークにあったPJキャロルというタバコ会社のブランドです。PJキャロルは今ではアメリカン・ブリティッシュ・タバコの子会社となって、ダブリンに本社を置いています。

 

メイジャーは今でも販売されていますが、アフトンの方は2011年には生産が中止されました。次の写真の左側は現在のメイジャーのパッケージ。警告文が英語とアイルランド語の両方で書かれています。右側は、アフトンが缶入りで販売されていたころのものです。

 

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これら2つの灰皿は両方とも陶器製ですが、アフトンの灰皿を裏返すと、Made in Republic of Ireland/Arklow と書いてあります。アークローというのは、ダブリンから車で南に1時間ほど下ったところにある海辺の街です。

 

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この街は陶器で有名な街だったのですが、日本のノリタケが買収し、その後、残念ながらノリタケも撤退してしまいました。ノリタケさんが撤退したのは、1990年代の後半ぐらいだったかなあ。

 

ちなみに、アフトンというタバコは、パリの左岸派の知識人たちに好まれ、特にサルトルが愛煙したと言われています。ルイ・マル監督の映画「鬼火」でもパッケージが何度も大きく映し出されるそうです。この映画は学生時代に見たのですが、もちろんそんな細かなことまでは記憶に残っていません。

 

メイジャーもアフトンも非常に強いタバコです。両方とも吸ったことがありますが (昔、喫煙していました)、強烈でした。

 

次はマーフィーズ (Murphy’s) とスミティックス (Smithick’s) の灰皿。

 

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マーフィーズがコークの黒ビール。スミティックスはキルケニーのエール・ビールです。マーフィーズは今でもコークで生産されていますが、会社自体は1983年にハイネケンに買収されました。ハイネケンは80~90年代に世界でマーフィーズの宣伝を一生懸命やったようですが、ギネスの牙城を崩すにはいたらなかったようです。

 

スミティックスの方は1965年にギネスに買収され、今はダブリンのギネス工場で生産されています。

 

最後はこちら。

 

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右側のスウェイツ (Thwaites) はダブリンにあったミネラル・ウォーターの会社。

 

こちらの同社のポスターを見ていただくと、「Inventors of Soda Water」(炭酸水を発明した会社)と書いてあります。人工的に炭酸を水に注入して炭酸水にする手法を開発したということらしいです。また、飲み終わった瓶をもってくると瓶代を返すという方法が昔は日本でもありましたが、その手法を最初に取り入れた会社の1つでもあるとのこと。

 

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ポスターにEstablished in 1799と書いてあるように、たいへん古い会社なのですが、今はもう存在しません。検索してもこの会社の歴史などはほとんど出てこないんですよね。

 

そして、左側はアイルランドを代表する会社の1つ、カントレル&コクランズ(Cantrell & Cochrane’s)です。1852年にベルファストで開業したソフト・ドリンクを売る店がこの会社の起源です。

 

その後、炭酸ジュースの製造販売で会社は成長します。C&C Club Orangeなどの Club シリーズがアイルランドでは人気商品です。

 

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1950年代には C&C Cola という商品を引っ提げてアメリカに殴り込みをかけます。コカ・コーラペプシ・コーラを敵に回して戦おうというのですからたいしたものです。宣伝などにも大々的に資金を投入したようですが、巨大ライバルに打ち勝つことはできませんでした。

 

C&C Colaという商品は別の会社に売却されて、今でもアメリカでは販売されているようです。日本でも80年代くらいにC&C Colaは売られていたような記憶があります。

 

C&Cは、一時期はアイリッシュウイスキータラモア・デュー(Tullamore Dew)や、ポテトチップスのアイルランドNo.1ブランドであるテイト―(Tayto)を買収するなど多角化を進めたのですが、今世紀に入って、初期の主力商品だったソフト・ドリンク製品も含め、ポートフォリオの多くを売却、現在はブルマーズ(Bulmer’s)(イギリスではマグナーズ(Magner’s))というサイダー(リンゴ酒)の製造販売に資金を集中させています。FTSE250種総合株価指数の構成銘柄です。

マクドナルドの営業再開とダイス・バーの炎上

一部のマクドナルドでドライブスルー営業が水曜日に再開されたというニュースが、今日のアイリッシュ・タイムズ紙に掲載されていました。

 

www.irishtimes.com

 

混乱を起こすといけないということで、マクドナルドは営業再開についてほとんど告知しなかったそうですが。それでも噂を聞きつけた人々が車で列をなし、一時は警官も出て交通整理にあたったとか。

 

記事にはマクドナルドの茶色の紙袋を抱えて最高のスマイルを浮かべているお客さんたちの写真が何枚も掲載されています。コロナウイルス騒動前は、当たり前すぎる存在だったマクドナルド。ややもすれば肥満の元凶、消費社会の象徴などと悪口を言われることもありましたが、やはり私たちの生活にはなくてはならない存在ということなのでしょう。

 

記事は、30年前にモスクワで最初のマクドナルドがオープンしたときに市民が殺到し、それは冷戦の終わりを象徴するものだった、というエピソードから始まります。記事には「今回の営業再開はそれほどエポックメイキングな出来事ではないが」と注釈が入っていますし、まあそのとおりなんですが、コロナウイルスに関しては暗い話題が多い中で、これはほんとに心温まるニュースです。普通の生活を取り戻すために、私たちは一歩一歩着実に進んでいるんだ、と感じさせてくれるからです。

 

さて、もう1つの話題は、ウチの近所にあるダイス・バー(Dice Bar)という人気パブがSNS上で大炎上している件。

 

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ロックダウンで一時休業中のダイス・バー

このパブはケルティック・タイガーまっただ中の2000年にオープン。いい仕事に就いている若い人が集まるパブという印象です。少なくともオープン時には、オーナーの1人が有名なミュージシャンだったはずです(ファイン・ヤング・カニバルズのメンバーの1人だったと記憶していますが、今インターネットで検索しても情報が出てこない)。

 

なぜ炎上しているかというと、パブの公式Facebookアカウントでオーナー氏が、パブが営業できない状況を、アウシュビッツに送られたユダヤ人の状況に喩えた投稿をしたから。経営が困難になるのはわかりますが、百万人以上がなくなったアウシュビッツに喩えるのはさすがに不謹慎だろうということです。

 

その投稿というのがこちら。

 

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既にSNS上では投稿自体は削除されているのですが、わざわざプリントアウトしてダイス・バーの近くのパーキング・マシンに貼り付けている人がいるのです。

 

www.dailymail.co.uk

 

Facebookで反論されたオーナー氏は、「今回のロックダウンのように最初は小さな自由が制限される。時間が経つにつれて自由が大きく奪われるようになり、それがやがてアウシュビッツのような悲劇につながるのだ」という主張のようですが、「いやいや、世界中のほとんどの医療専門家がロックダウンは必要だと言っているだろう」と言い返されています。

 

最後に、今日の朝散歩していたら、バス停の広告ボードに「このパンデミックを皆で力を合わせて乗り切ろう」ポスターが掲出されていました。10秒ごとぐらいに画面が変わっていくスタイルの広告です。ハッシュタグは #InThisTogether です。

 

まず、ロックダウンが少し解除されて、「また会えるようになってよかったね(It’s Great To See You Again)」シリーズ。

 

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そして、様々な分野で働くエッセンシャル・ワーカーの皆さんに感謝するシリーズです。

 

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